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「カンナ8号線」を久しぶりに聴いたら、昔と解釈が変わった話

どうも。健康のため週2でヨガ教室に通っているみよし@54歳です。行き帰りの車では、Youtube Musicに適当に音楽をかけてもらっています。

今日流れてきたのはユーミンの「カンナ8号線」。1981年にリリースされた「昨晩お会いしましょう」というアルバムの収録曲で学生時代から聴いている曲。

「シュ———ワッ!タンっ!」から始まる疾走感のあるイントロ。もし私が、高島忠夫の「クイズ・ドレミファドン!」に出て、これを出題されたら「超ウルトラドン!」でも当てる自信があるくらい印象的な始まりだ。

最初の「シュー」で早押しだ

この前奏は左から右へ、右から左へ走る音をヘッドフォンで聴きたいところ。ユーミンの50周年記念ベストアルバム「ユーミン万歳!」にも収録されている。

久しぶりにこの曲を聴いて、改めて情景描写がすごいなと思う。聴くだけならスーッと入ってくる詞も、「もし同じようなテーマで自分が詞を書くなら」と考えたとき、1曲という枠の中に恋愛の酸いも甘いも詰め込んで、その心の機微を聴くものに感じさせるこの詞の凄さを実感する。

私はカンナの花咲く8号線を車で走ったことも、チェックのシャツの彼と海へ行った覚えもないが、それでも歌詞の中に描かれた光の感じや温度、空気の匂いが想像できるし、そこにある切なさや無常観にも共感できてしまうんである。

それは何故か。人の思い出は十人十色で他人が知る由もないけど、ユーミンは多くの人がどこかで感じた感情や記憶を呼び起こす「共通言語」のようなもので人の心にアクセスするのがうまいからなんだと思う。ちょっと歌詞から想像してみる。

大事な人と訪れた砂浜。「シャツがふくらむ」というだけで、そこにある風や空気を感じる。「波をバックに焼きつけたかった」彼の後ろ姿。平和な日常を眺めながらも、このしあわせな光景も寄せては返す波と同じで、永遠にはとどまらないことを知っている。

誰もが、失って初めて「当たり前」の有り難さを理解する。それに気づいた人は、日常の何気ない一瞬の尊さを知っているから、それを切り取って一枚の記憶として脳裏に留めておきたいと思ってしまう。「日光写真」のようにいつかは褪せてしまうことも、「陽炎」のようにいつしかおぼろげな記憶となることも分かっているけれど。

それにしても切り取るアングルがすごいんである。何気ない日常の景色はいっぱいあるけど「波をバックに風に膨らんだチェックのシャツの後ろ姿」を選ぶ?もし、これを読んでいるあなたが「まぶたの奥に留めておきたい1シーンをあげてください」と言われたら、どんな景色を切り取ります?

1枚の写真を見るように状況を描けてしまう描写と、それを手がかりに後はそれぞれの記憶や感情で味わってくださいという余白を残しているところがすごいなぁって思う。

砂浜の景色に続くのが「雲の影があなたを横切り」というフレーズ。なんとたったこの1フレーズで二人の状況の変化を表している。たった11文字である。二人の関係が離れていったことを表すのに、雲を使った明から暗への光の演出。ニクイっ、ニクすぎる。

楽しかった頃の回想シーン。中央分離帯に咲くカンナの花。カンナにはいろんな色があるようだけど「燃えて揺れてた」ってことはきっと赤なんだろう。田舎道をのろのろ行くのではない。「中央分離帯」に疾走感を感じるし、夏の情熱花が揺れる道を走る車の窓には、ジリジリゆらゆらと立ちのぼるアスファルトからの熱気が伝わっていそう。恋の絶頂期を伝えるには十分だ。

サビは「思い出にひかれてああ ここまで来たけれども あのころの二人はもうどこにもいない」
大人になれば、多くの人が通ってきた道。もう「ない」と分かっていても、その場所に行って、そのときの記憶や感情をなぞりたいときあるもんね。その場所も対象も人それぞれなんやけど。

でもこのサビの部分を聴きながら、なんか「あれ?」ってなって。
昔の自分と今の自分で、聴いた印象が変わってることに気づいたんですよ。

20代の頃に聴いたときは、この主人公が過去の恋愛に未練があるんだなと思ってたんです。ほんで自分もそれに乗っかって、自分の思い出をなぞって「キュン」となってたんですよ。でも、今回「なんか違うなぁ」ってなって、ユーミンの昔のライブ映像観てみたんです。

そもそも、この曲がいいのは歌詞が切ないのに、曲調が暗くないこと。毅然とした姿勢を感じるリズムなんですよね。落ち込んで背中が丸まってる感じじゃなくて、背中がピンとしてる感じ。実際にユーミンもライブでこの曲を歌うとき、腕を大きく振って行進するように元気に歌っている。その姿には、移ろっていく時間に執着することなく、どうにもならないことを受け入れ、乗り越えようとする潔さのようなものを感じる……

で、あぁ、これは「未練」の歌ではなく「昇華」の歌なのか、と思ったわけです。

そう考えると「胸のアルバム閉じる日が来るのこわかったずっと」は、主人公の当時の気持ちそのままに歌ってる気がしてたけど、乗り越えた先の自分が「でも乗り越えられたね」と当時の自分を愛おしく振り返りながら歌っているように思える。

「うらまないのもかわいくないでしょ だから気にせずに」は、ちょっと嫌味なこと言って虚勢を張っているように感じていたけど、実際には相手を恨まず「許す」ことができたんやな。今なら昔のように笑い転げることができそうな心境なんやなって思いました。

最後のサビのリフレインは「未練」でなく「達観の境地」という気がします。

今もこの曲を聴いてキュンとするけど、昔のように「叶わなかった恋愛や当時の傷みを思い浮かべて」のキュンでなく、どちらかというと「失った恋を昇華しようと前を向く健気さに打たれて」のキュンかな。

編曲は松任谷正隆氏と杉真理氏。
気丈に乗り越えようとする女性の心理を表してか、前半は力強いリズムに、乾いた音(ストリングスとかギターとか)が重なってるのに、エンディングは泣きのサックスなんですよね。ちょっと最後に湿りが入る。
サビのリフレインで乗り越えた女性が凛と歌いながらも、バックに切なさが漂よっている。「うまい!」としか言いようがない。なんか後ろから「分かってるよ」と包まれてる感じ。

えー以上、勝手な妄想解釈でした。
この1曲だけでお酒が何杯でも飲めそうな、味わい深い曲です。

読書でもあるじゃないですか。昔読んだ本でも、もう1回読んだら感じ方が違うことって。50歳を過ぎたら「作品を通じて昔の自分に会いに行く」っていう楽しみ方もあるなって思った次第です。

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