恋人の定義、親子の定義

何年か前に見た韓国の恋愛ドラマのセリフでえらく腑に落ちた言葉があった。髪を結ぼうとした彼女に僕が結んであげるよっていう。それを見た後輩があんなのひとりでもできるのにとぼやくと少し先輩である上司が『ひとりでできることを相手にやってもらうのが恋人なんだよ』というシーン。あれは今は別れてしまったけどドラマで共演後ほんとに恋愛して結婚したソン・ヘギョとソン・ジュンギの太陽の末裔のワンシーンだった。なるほどねぇ。この先の見えない今、恋人同士はそれでいい。でもちょうど思春期を迎えた若者たちにとっての今はどうだろう。東京オリンピックは来年に延びた。それだけでもショックを感じただろうに、今日発表されたインターハイ中止のニュース。それはまさに彼らにとっての身近な現実でこれが最後の夏だったという最終学年の子供達にとってみればたくさんの思いを寄せて日々過ごしていただろうに追打ちをかけられただろう。中学3年生、高校3年生の夏は一生のうちでのたったの何ヶ月かだけど人生の中に占める重さを考えたらかなりの重量だ。打ちのめされただろうに。こうなってくると吹奏楽コンクールあたりの開催もスムーズにできるような気がしない。もう少しの我慢だと家で過ごしていても焦りと不安に押し潰されそうな日々だろう。親はこどもが辛い思いをすることがいちばん辛い。彼らにどうしてやればいいだろうと思ったとき、ふとその恋愛ドラマのワンシーンを思い出した。親は髪を結べる子供の手助けをするべきではないし、その結び方はおかしいと言うのも思春期の彼らには反抗心をあおることになることが多い。親もいろいろ迷うものだ。行く道が真っ暗なら並んで歩けばいい。でも間違った道に進もうとしたとき、間違っていると教えた方がいいだろうか。言っても聞かないだろうな。それでも進もうとしたときはひとりで歩かせてみて引き返してきたら支えてあげようか。ただ彼らより少し長く生きている分経験が多い。助けを求められたときにはその経験を伝えればいいんじゃないか。正解を見つけるのは子どもの役目だ。そしてもっと大切なこと、それは正解を一緒に見つけるのは友だちだってこと。いつか、ああそんな時代もあったよねと振り返る時が来るから。失うんじゃない、積み重ねるのだ。少しでも早く私たちの日常が戻ってきますように。

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