5月27日

今朝のラジオで
「今日は横浜空襲があった日」
と、聞こえてきた
テレビでは聞かなくなったけど
(あまり見ないから仕方がないけど)
ラジオでは毎年、空襲と終戦の話をしているのが
聞こえてくる

その度 思い出す横浜空襲の話
昔、一緒に仕事をしていた
男性Hさんから聞いた戦争

彼は当時小学生、大家族の一員で
下から2番目の男の子
その頃は空襲も度々有り
逃げるよりも やんちゃだった彼は
友達と屋根に上り遠くに見える
爆撃の光を「華麗だなぁ」と眺めたりしたんだよ
今思えばゾッとする事をしてたよね
と語ってくれた

1番下の弟は小さかったから疎開で田舎へ
うえのお姉さんたちは別の仕事
Hさんは小学生だったので学徒動員で
横浜は浦舟町に有った仕事場に
1人で通っていた
朝からいつもとは違う感じがしていた
それでも行かなくてはいけない
仕方なく いつもの様に仕事場に着くと
すぐに空襲、しかも自分の家の方からだ

帰らなきゃ
家族みんなのところに

周りの子供や大人たちは
パニックになりながらも
防空壕(山肌に横穴を掘り
隠れられるようにしたものらしい)へ
大人たちは逃げながらも彼ら子供に
一緒に防空壕へ隠れなさい!と
必死に連れて行こうとしていた
しかし彼はその時どうしても
家に帰らなければと
家族と一緒にいたいと思ってしまった
そんな事しているうちにも
家の方面から空襲の火が
こちらに向かってくるのが見える

大人たちの静止を振り切り
空襲の中 彼は1人家族が待つであろう
我が家へ走り出していた
無我夢中だった

中村川沿いを走って家に向かう
振り返ると
今さっきまで居た場所が燃えている
防空壕の人たちは?どうなった?

でも、その時は
そんな事考えて立ち止まったら
自分も焼けちゃうって思ったんだよね
もう、周りは火の海で
逃げながらも熱くて熱くて必死に走ったんだよ

家まで後 半分くらいの
堀割川に着いた時
熱くて川に飛び込んで行く人がたくさんいて
でも、既にその時は空襲の火力が凄過ぎて
風が川の両側から中心に向かって起こって
川自体が燃えてるみたいに火傷する熱さだった
熱くて喉が渇いて水が欲しかったけど
すぐに、あそこに行ったら駄目だって思った
地獄ってあれだよ
思い出したくもないけど
頭から消えない

とにかく運が良かった
大人たちの言う事を聞いて
黙って防空壕に隠れていたら
焼け死んでいたし
熱くて川に飛び込んでたら火傷で死んでただろう

その後は とにかく必死に走って
走って走って
その間もたくさんの逃げ惑う人々を見て
怖くて怖くて 熱くて
早く家族に会いたくて一緒に居たくて
どうにか家に着いた
と、言うか
家が有った場所に着いた

家は燃えて無くなっていて
そこには家族の姿も無く
彼は呆然となった
すると、どこからか知った声が聞こえて来て
「この辺の人は皆んな小学校へ避難しているから
みなさん小学校へ避難してください」
声は近所の人だった

学校に家族が居る!

残りの力を振り絞り
大岡川沿いを学校まで走った
学校に着くと避難した大勢の人達で
家族を探すも すぐには会えなかった
それでも彼の家族は全員無事で
避難所の混雑の中
やっと会えた
みんなで泣きながら抱き合った
逃げてきて良かった
その時は本当にそう思ったよ

その後、お父さんとお母さんが教えてくれた話

家のすぐ手前から空襲が始まったんだ
火の手がみるみる広がって
追い風も有って海の方へ火があがって行った
だからHが浦舟町に1人だけで
無事で居るのか とても心配だった
良く帰って来れた

そう言って喜んだ

しばらくして空襲が終わり
家の有った場所に戻ってみると
所在が不明だった隣のおばあさんと子供が
瓦礫の下から見つかった
おばあさん足が悪かったから
逃げられなかったんだな
と、悲しいとか言う感じより
ただ そう思った
たくさん見過ぎて麻痺したんだろうな
Hさんはそう言って話を終えた

毎年この時期に思い出す
本当に有った横浜空襲の話

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