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大事なことは「本」に書いてある

ざわざわと騒がしいこの頃、不安を感じさせる話が増えている。大なり小なり色んな情報が錯綜し、わたしたちを翻弄する。

わたし個人に限っていえば、本当にたまたまではあるのだが、自分自身の怪我による入院や、義父の葬儀と重なってしまい、この1カ月程ネットにもテレビにもアクセスが極端に減っていた。

騒ぎを知ったのは、入院中にふと開いたFacebookである。良かれ悪しかれ色んな話が目に入ってくるので、そっと閉じた。おかげで、手元にはマスクが3枚しかない。(大きな病院であったが、医療従事者の人は冷静で、院内で騒ぎは起きていなかったのである)

SEとして情報検索は得意なほうだし、ネットにも常にアクセスするのが癖になっている。ただネットの情報は玉石混交、正直当てにならないなあとも感じている。誰でも情報を作り出せてしまうからだ。

かといって、マスコミが正とも限らない。それは、第二次世界大戦の時に、大本営発表として日本人は知ったはずなのである。かといって「何も信じない」とか「政府にだまされている」「〇〇の陰謀だ」と何かと決めつけてかかるのも、0か10かといった極端で思考停止な感じがして嫌である。

話はズレるけれど、この騒ぎが起きる前から、SNSを主としたネット界隈で、生活にしろ仕事にしろ人間関係にしろ、色んな人が色んなことについて繰り広げる主張について読んだ時、

「そんなことは、とっくの昔に本に書いてあるのにな」

と感じることがしばしばあった。

それを言い出したらキリがないし、じゃあ何も言ってはいけないのかと思われるかもしれない。そもそもわたし自身が、そんなウザったい主張を繰り広げる当の1人である。

それでもあえて言うのなら、どうせ同じことを知るのなら、名文を持って知りたいと思ってしまう。

たとえば恋愛の悩みを書いた人で、夏目漱石以上の人がいるのだろうか。

友を出し抜き、その友の自死した場所で、遺書に自分のことが書いていないか探す人間の深いエゴ(「こころ」)。
あの瞬間を超える文章があるのだろうかと思ってしまう。

またどんなに優しく温かい人柄であっても、金銭に対する欲と、害をなされるかもしれないという不安の前では、人が変わってしまう悲しさについて、小川未明「赤い蝋燭と人魚」以上に胸を打つ話はあるだろうか。

極貧の生活の中で孤独死をする女性の人生と、それとは対極的に現実を生き抜く妹の人生を通して、本当の幸せとは何だろうと胸を打たれたのは、桜木柴乃の「ラブレス」である。

借金で人生を狂わされた女性を描くことで、法を知る大切さを学んだ宮部みゆきの「火車」

日航機事故を通して、企業の非情な論理と、その中での企業人の生き様を知った山崎豊子の「沈まぬ太陽」

同じくシベリア抑留の現実を知った「不毛地帯」

大戦後の混乱期に起きた事件を中心に、歴史の闇を読み解く松本清張の「昭和史発掘」

更に記憶をさかのぼれば、母子共々コミュニケーションレスになりがちで、幼少の頃、わたしの人間関係は小さいどころかほぼ無を極めたが、人並みの思いやりや交流を知ったのは、赤毛のアンや、小公女、若草物語、シャーロック・ホームズなど、数々の本だった。わたしは部屋にいながら、時空を越え、数々の冒険をし、数々の人と出会い、自分たちとは違う価値観や生活様式を知った。

たくさんのことを本は教えてくれた。

ネットで何かを声高に叫ぶ人を見ると、あまりに世界が狭く感じて息が苦しくなることがある。「きっとこの人は本を読んでいないなあ」と、つい思ってしまうのである。

最後にデマの怖さを痛感した本を紹介したい。災害の備えとしても読んでおきたい本である。淡々とした記述に圧倒される。吉村昭の「関東大震災」


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