比較による評価の受け取り方

誰かと自分を比較されて評価された時、傷ついてしまったり、優越感を抱いてしまったりする。
今日も、人から比較され評価されたことで胸が苦しくなった。

この評価の受け取り方によって、子どもの頃からず〜っと苦しんできている。
比較されるのは嫌だと感じているのに、いつのまにか自分でも自分と誰かを比較して苦しむようになってしまった。

時には、優越感によって自分が安心したいがために、誰かと比較することを利用してしまっている自分もいる。

比較によって、劣等感を感じて落ち込んだり、優越感を感じて舞い上がったり、いちいち感情の起伏が激しくて、正直疲れ果てている。

自分を比較の呪縛から解放してあげたい!

比較しないようにしようと思っても、かなり難しい。
違いって比較しようとしなくても自然と気づいてしまうものだから、比較することをやめることはできない。

比較について向き合っていて、気づいたことがある。

比較というのは、ただ単に違いを認識するためのもの。

なのになぜか、そこに価値の差を測るという意味合いをくっつけてしまっている自分がいた。
だから、劣等感や優越感を感じて自分の心を乱してしまっている。

価値というのは、本来もともと全てに同じように備わっているものであり、むしろ全ては価値そのものであり、価値に量というものがない、だからそこに優劣や差というものは存在しない。
もともと比べることができないものだから、価値という概念すら必要ないくらい、例外なく全てが同じように尊い。

それを忘れて、自分は誰かより価値があるとかないとかそんな捉え方をしてしまっているのだから、苦しんで当然だ。
それは真実ではないのだから。
価値を測るということ自体、宇宙の本質からズレている。

2つのものを比較して、価値があるとかないとか「価値」という言葉を使って表現されるとき、実際は価値の話ではなく、その比較をしている人の好みや求めているもの、その人が重要視しているものを基準としたその人独自の見方によって比較して見た場合の、どちらがよりその人にとって都合が良いか、その人にとって正しいか、その人にとって好きか嫌いかを表現しているだけであって、自分の価値には一切関係のないことなんだということをしっかりとわかっておきたい。


自分を含む全ては価値そのものであり、そこに差や優劣は一切なく、全てが尊い
ということを自分の中に染み込ませていこうと思う。

比較は、ただ違いを知るためのもの。
だから、これからは比較を恐れるのではなく、比較によって違いを知ることで、それを自分の望む方向への歩みに、次の選択に役立てていけばいい。

それだけのことだ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?