最近考えていること。循環型社会編

私はかつて、大学院で環境問題に付いて研究していたという黒歴史がある。2007年ぐらいの、京都議定書のCOP4ぐらいだったかしら?が話題になっていて、「チームマイナス4%」みたいなのも各企業がこぞって参加していて、要するに「エコ」が「流行っていた」あの頃だ。

私は、「エコ」に貢献したいというよりも、なんだかその「エコ」にキナ臭さを感じたので、つっこんで学んでみたくなったというわけだ。(ちなみに修士論文のテーマは「ペルーの鉱山開発に伴う環境問題と住民運動」。われながらわけわかんない)

その後震災があったりして、それどころではなくなったり、社会にエコが定着したりして、あまり表立って「エコだエコだ」と言うようなこともなくなった昨今。でもやっぱりロハス野郎が読むような雑誌には「循環する」だの「自然のままの」だの、「エコっぴー」な(エコっぽいという意味です。造語by私)表現がチラホラ。

プラスチックは循環しないだの、大量消費大量廃棄のシステムを見直すべきだだの、CO2がどうのこうの...。言いたいことは分かる。もちろんよーくわかる。理論としても理解してます。ペットボトル大量に使うのも、ゴミが多いのも、二酸化炭素でまくってるのも、「環境に悪い」というのはよーく分かっている。

ただ、私がとても気になっているのは、「どんな環境がベストなのか」というのがはっきりしていないのではないか、ということです。

ペットボトルにしても低炭素にしても、ストップ大量廃棄にしても、「どんな社会(具体的に炭素はどのぐらい排出してオッケーで、ゴミは何トンまでオッケーで、そうすると大気だの気候変動だのがどんなかんじになるのか。)」を目指していて、それに向けて「どの程度」「何をすればいいのか」というのをある程度はっきりさせないと、エコエコ言っても効果はないし、「えじゃあ原始時代みたいな生活をしろってことですか?」となってしまうのでは?と思うのです。

これは、エコだけではなく「自然派」全般に対してもの申したい。

「なるべく自然な形で子供を育てたい」という理由であらゆるものを手作りし、市販のものを目の敵にする人や、無添加信仰なんかにもかなり疑問をいだきます。「昔の人はみんなこうやっていたんだし。。。」みたいなやつ。

昔の人って、ものすごい不便を感じていただろうし、寿命も短かったし、乳児死亡率もはんぱなく高かった。そしてそれと同様、社会の仕組みも働き方も生活の仕方も全く変わっているのに、「昔=良い!」みたいなのって、証明のしようもないし、なんかズルい言い方だしうさんくせーなーと思ってしまいます。

ノスタルジーよりもイノベーション派。だって、昔のことは、みんなが「変えたい!」と思って変わってきたわけだから、そんなに今のやり方に不満があるなら、過去を見るのではなくて新しい方法を考えれば良いのに。と思ってしまうのでした。

私は、日本人の平均寿命が伸び続けるかぎり、現在の医療や生活を信頼します。添加物とか、よくわからないから不安になる気持ちも理解できなくはないけど、そんなびくびくしながら生活してたら息が詰まる。それよりも、美味しいものを追求したい。

こういうことを常に考えているわけでは全くないのですが、久しぶりにもやもやしたので。こういうこと考えるからには、私もちいさくてもいいから何かイノベーションを生み出したいな。


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