見出し画像

女の友情

高校の同級生が集まって年イチ開催している「ママ会」たるものに参加してきた。高校の同級生とはいえども、我が母校は小学校から大学までのエスカレータ、そして私は高校留年したうえに大学は外に出たので、3年間しか一緒じゃなかった。ということで、たいした絆も友情も芽生えなかったのだけれども、まあ、仲良かった子も来るし、子供と二人の週末もマンネリなので参加を決意。しかし、まあ。

つまらなかったわーーーー。

高校時代、いくらでもおしゃべりができたあの子もあの子も、今会っても話すことがない。子育て中、という共通点をもってしても、話すことがない。なので、適当にニコニコしながらみんなの様子を観察していました。

なんとなく、かつての仲良しグループでくっついている場面が多かったけれど、最近のママ軍団の社交性ったらないね。「我が輩はママである」という共通項だけで、みんな盛んにコミュニケーションしていました。「うちの子はあまり食べなくて困る」とか「立つのが早かった」とか「この離乳食やばいおすすめ」とか「あのメーカーのエプロンいいよね」とか、まあ、早い話が情報交換ですな。お稽古ごとの話や、幼稚園受験の話も多かった。

楽しそうでいいなーと思いつつも、私には提供するような話題もなく、得たい情報もなく、ポツンとしてしまいました。そして痛感したのです。

女の友情は環境で決定づけられる。と。

長らく女子校で育った私が、漠然と感じていたことは「男よりも女の方が多様性に不寛容である」ということです。女の子は得てして「おなじ」であることが大好きだし、それを重要視します。「おなじ」じゃないということは、自分より「上」か「下」か「無関係」か。もちろん「おなじ」中にも些細な違いを見つけるのが上手なので、友人関係の中に必ず「序列」が存在していたような気がする。

だから、結婚して仕事やめて専業主婦に専念しています!という集団に、私はなじめなかったのではないかと。私は専業主婦の生態を知ったところで、何の参考にもならないし、自分の生活にまったく関係のない生き方なので興味がない。そして彼女たちも、働きながら子育てする人って何がしたいのかよくわからない、あるいは「働かなきゃいけないなんて、かわいそう」ぐらいに思っている人もいる。私の生活は「仕事8割子育て2割」なので、しかもその2割もかなり適当(というか、最低限の世話)だから、もうほんとに話にならない。

同じぐらいの年の子供がいれば、一緒に遊ばせて世間話、ぐらいならできるけれど、子供同士が遊ばなければ間を取り持ったりしなきゃならんわけで、しかも喧嘩しないかとか見てなきゃいけなくて、ああ面倒くさい。

もちろんそんな女子たちだって、環境でバサバサ友人関係を切り捨てていくわけではありません。むしろ、疎遠になった友達ともネット上でしきりに関係性を保ち(誕生日にコメントする、いいねの乱発など)、「ひさしぶりぃ〜、こんどあそぼぉ〜」みたいなことも多々起きています。ただ、その「ひさしぶりに会う」という行為は、お互いがお互いの「今」の違いを確認して焦ったり優越に浸ったりとか、そういう「確認行為」に他ならない気がする。

もちろん、環境関係なく存続していく友情ももちろんあるけど。だからこそ、私はそういう友情以外は「限定もの」ぐらいに割り切ってつき合っていきたいと思っている。

なんとなく世の中では「ずっと続く友情は美しく、素晴らしい」みたいな風潮がある(ような気がする)けど、長けりゃいいとも思わないし、お互いがお互いを尊重しあって、楽しさを共有できればそれでいいんじゃないんでしょうか?

まあ、だから私はあんまり友達が多くないんだろうけど。

今回のママ会(というかママ会全般)が居心地が悪かったのは、ママ会にくるような人は基本的に教育熱心で、私は自分の子供の教育にあまり興味がないということが一因だったんでしょう。

我が子は大事だしとてもかわいいと思うけど、どこの学校に行こうが、将来どんな仕事をしようが、どんな能力が芽生えようが、はたまた何の能力も芽生えなかろうが、どうでもいい。ただ単に家族としてお互い思いやりをもって一緒に生活し、楽しく仲良くやっていきたいだけだ。そして健康で自立した大人になってくれさえすれば、あとは何だっていい。

教育熱心な人と話すと、なんか自分が冷酷な母親なのか?と思ってしまって少しつらい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?