思想の過渡期

近頃、あまりnoteを更新していません。というのも、考えをまとめられないというか、まとまった考えが思いつかないというか、今は書くよりも読みたいだとか、あーだこーだ考えているうちに眠くなって...。という感じなのですが、コンスタントに一定のクオリティの文章をかける人になりたいと、つくづく思いながら、頭の中で浮かんでは消える言葉を、まとめようとしてはみるもののまとまらない。

私は22年前から日記帳をつけ、15年ほど前からインターネットに個人的に文章を書いている(実際に私を知っている人にはその存在を知らせず)。すると、たまにこういう「書けない」時期がやってくるんだけれども、そういう時期を後になって思い返してみると、たいがい「思想の過渡期」だったなあと思う。

自分の考えていることが大なり小なり変化していくので、言葉を文字にした瞬間、それが自分にとっての真実であるかどうかが確かでなくなる。「変化の途上」だからこそ書き留めておく必要があるとも言えるのだけれども、どうしてもまとまらない。プロのライターさんやら文筆家の人々には、こういう時期はないんだろうか。それとも、あったとしても「書ける」んだろうか。

私は、相変わらず教育問題とグローバリゼーションの行く末について考えているのだけれど、最近小説を読みまくっていることもあり、自分の追いかけている社会問題を物語を通して捉えがちになっている。そうこうするうちに、「社会」を最も的確に、効果的に説明する手法としての「物語の可能性」みたいなものって、実はものすごく大きいのではないか?と感じ始めている。

小説が売れていないらしいけれど、たしかに「娯楽」としての物語の需要は減っていくかもしれない。なぜなら、「娯楽」はあまりにも多様化し、「楽なもの」へシフトチェンジして当然の分野だとも思うから。だからこそ、「物語」に「教養」を!というか、「難しいことを説明する手段」としての役割をもう一度担わせてもいいんじゃないのか?と思う。

つまり、今の私は社会がどうのこうのということよりも、物語が潜在的に持つ力について考えてばかりいるんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?