「グローバル教育」のお話

ここんとこずーっと、学校業界では「グローバル教育」っつーもんが幅をきかせています。幅を利かせているというか、学校たるものグローバル教育に力を入れて当たり前、とにかく英語を頑張って、さらに他言語までやっちゃいますよ、交換留学やネイティブ教員ももちろんご用意しております!!というのが私学のスタンダードなスタンスです(やや大げさ)。

グローバル教育というものはそもそも、国際社会全体の中で教育を考えよう、というものであって、もはや完全にグローバル化された現代では、普通に教育していてもグローバル教育の範疇なんじゃないかと思う。でも、全国の学校が声高に「グローバル教育」を標榜している。

でも、そもそもその「グローバル教育」の先には、どんな「グローバルな人」を想像しているんだろう。

「グローバルに活躍する」といっても色々あるわけで、海外で働くのか、日本から世界に発信するのか、世界に通用するアイデアを生み出すのか、国際社会に貢献していくのか。もちろん、世界に通用する人間になるためには、自分の思考を言語化する能力はものすごく大切だけれども、私は必ずしも英語や外国語が必須だとは思えない。

もちろん、個人で世界と関わったり、世界中に友達を作ろう!というのならば英語やスペイン語が話せたほうがいいだろう。だけど、ビジネスだとか社会貢献ならば、最悪通訳を頼めばいいんだし、実際まーくんだって英語全然できないのに大リーグいって世界で活躍している。(少しはできるようになったのか?)

小さい時から英語に親しんでいれば、そりゃ英語はある程度難なく話せるようになるかもしれないけれど、英語が話せるだけで「活躍」できるほど世界ってレベル低くない気がするんだよなあ。

だからもっと、「世界に通用する」何かを持った人間になれるような教育をするのが、本当のグローバル教育なのでは?

そしてその「世界に通用する力」というのは、「何かをゼロから作り上げる力」だと思う。それは、物語でも、アートでも、科学技術でも、キャラクターでも、思想でも、デザインでも、平和構築のためのアイデアでも何でもいい。どんなジャンルでも、ゼロからクリエイティブできるのって世界で認められると思うんだよなあ。そしてその力は、英語のお勉強を頑張ったところで身につくものではないとも思う。

まあ、どこの学校も別にノーベル賞とるような人物を育てようとしているのではなくて、単に「国際社会で生き抜ける人を育てる」ぐらいに目標設定しているのだろうし、もちろん才能の問題もあるから、英語の勉強を頑張っているのが妥当なのかもしれないけど。だったら学校の説明のところに「活躍する」とか書かないで欲しい。志と現実が乖離しすぎてうさんくさくなるから。

どっかにそういうことに力を入れてる学校ないかしら。あったら転職したいな(家から1時間以内に通えたら)。


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