教師の役割についてのホンネ①

私の本業は「教育」です。といっても脱サラ教師なので、まだ教師になって6年。新米に毛が生えた程度です。

学校はある意味で「閉ざされた空間」です。これはよく言われていることですが、学校の常識と社会の常識の間にはかなり高い壁が立ちはだかっています。それはなぜかというと、「社会」は「利益」を生み出すことを前提として動いているのに対し、「学校」は「利益」の追求に重きを置いていないからです(もちろん、利益について全く考えていないわけではありませんが)。まあ、もちろんこれだけではなく、「社会」を動かしているのは「大人」であり、「学校」の主役は「生徒」、つまり「子供」だという事実も見過ごすことはできない理由のひとつでしょうが。

しかし、「学校」で教育を受けた「子供」たちは、いずれ「社会」に出て働く「大人」になります。では、「学校教育」の目的って何なのでしょう?

そんなことを最近ずっと考えていました。もちろん、学校によって「教育方針」は違い、またその学校の中でも教師によって「指導方針」も違います。文科省の「学校教育の目的」によると、小学校はまあ様々な能力(国語運用、数学的、理科的)あるいは知識、感性を育むことに重きをおいていますが、中学高校になると、まず第一に「国家及び社会の優位な形成者として必要な資質を養う」とあります。
その他、簡単にいうと「社会をよく知り、自分を適応させられるようにする」と「社会について自分の意見を確立せよ」的なことが挙げられています。

つまり、「社会にでるために」というのが学校教育の国家的な目的であるようです。

もちろん、それも大事なことだとは思うのだけれど、なんだか違和感を覚えるのです。

「社会に出るため」ということは、まず「社会」があって、そこに自分を「馴染ませていく」というイメージ。だけど、じゃあその「社会」が改善すべき点満載だった場合、そういうやり方で世の中は良くなるのか?じゃあそもそもその「社会」ってどこからどこまで?「学校」は「社会」に含まれるの?含まれないの?と思いました。

まあ、こんなへ理屈みたいなことはさておき、本題は「生徒の教育のしかた」です。(前置き長い)

(生徒のいない)職員室でよく耳にする言葉に「言うことを聞かせるのが仕事」だとか「管理されてない感じがする」だとか「徹底的に追い込む」みたいなものがあります。ベテラン勢もこのような類いのことを言っているので、学校の常識なのか?とも思ったのですが、私はこれがどうにも納得できない。

教師の仕事は、生徒を管理することでも、無理矢理言うことをきかせることでもないのでは?

もちろん、まだまだ自制のきかない子供を相手にしているので、「指導」は必要です。でも、「指導」することが目的(つまり我々の仕事)なのではなくて、「指導」の結果、「実力を身につけさせる」あるいは「成長させる」のが仕事なんだと思うのです。「言うことをきかせ」て課題を提出させたところで、イヤイヤ答えを写していたら全く無意味なんじゃないのか?言い換えると「定期試験」のことだけ考えている先生がとても多い気がしています。(なぜなら学内定期試験の結果は、自分の指導力を問われるものだから)

じゃあ、いったいどうすれば勉強から逃げ回る生徒を、恐怖政治の手法を使わずして勉強に向かわせることができるのか。教員になってからずっと考えていることですが、後少しで答えが出せそうな気がしています。


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