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伝えないということを伝えることは難しい

去年の1月、でんぱ組.incのライブに行った時のこと。W.W.Dという新曲を披露する前に、それぞれのメンバーが過去の想い出を話す場面がありました。

20分くらいそれは続いて、その間、ZEPPは無言で彼女たちの声を聞いていた。僕はみんな、やさしいなって思った。

アイドルのライブに限らず、ライブでアーティストが何か言おうとすると、ファンの人たちは声援を送る。伝えたい言葉が出てこなくて、言葉を選んでいるアーティストに勇気を、力を与えるために声援を送る。

でも僕は、できればアーティストが言葉を発するまでずっと待ってたいなと思う。これは好き嫌いだから、どっちがいいとかわるいとかないんだけど、なんとなく僕は黙って、彼が、彼女が言葉を発するまで待ってあげたいなと思ってしまう。

僕は、でんぱ組.incというアイドルを全く知らなくて、社内のアイドル勉強会で「とりあえず、みよっこさんは現場に行ったほうがいいですよ!」と言われたので、たまたま友だちに誘われたでんぱ組.incのライブに行っただけだった。なので、でんぱ組.incのことも、そのファンのことも、その関係性も知っているわけではないけれど、メンバー6人の言葉をじっと聞いているファンを僕はやさしい人たちだなと思った。

時は経ち、先日、でんぱ組のライブに行く機会があって、それはそれは、ZEPPの時なんかより人数の桁が違う会場だったけれど、同じように、彼女たちが語るシーンがあった。そこではZEPPとは違って、いろんなところから「がんばれー!」って声が聞こえた。ちょっとさみしかった。

コールやmix、振りコピとか。発っすることができるものは、新しく来た人に伝えていくことができる。でも、何も発さないということは、新しく来た人たちに伝えることは難しいんだなって思った。現場の雰囲気は不可逆な時間の流れにあるんだな。

どっちがいいとかホントないんだけど、僕は、彼女たちが言葉をつむぐ時間、ファンがじっと耳を傾けているあの空間が好きだったんだなと改めて感じた。

空間やコミュニティを作ることって難しいなとつくづく感じた一方、MOGRAの店長による開演前DJに対して「なにこれ?!でんぱの曲?」と言っている人に「あーこれでこそ武道館来たなぁ!」って言ってた古参の寛容さ(武道館くらいでっかいところに来たのだから、でんぱの曲を知らずに来る人だっているだろう。それくらい知らない人でも来るようなアイドルになったのだなぁってしみじみしていた)に、アイドルっていいなと思うのでした。

そんな妄想。