子どもが生まれて気がついた 仕事編①
私は、造園設計(対象は主に公園や広場などのオープンスペース)を専門としており、社会人6年目。今年4月に転職したばかり。
子どもが生まれ、3ヶ月が経とうとしているので、久しぶりに自分の中の溜まったものを卸してみようとおもう。少しづつ、投稿していこう。
今回は、仕事編で。
最近は、設計をする上でなにかを決めるときに、自分の頭で考えることが多くなってきた気がする。
例えば、数字に対してより敏感になったと思う。これまでは、公園〇〇協会や各自治体が出している基準書をみたりしながら、様々な寸法を設定してきた。ただ、その寸法が良いのか悪いのかは実感がなかったりもした。この本にこう書いてあるから、これでいいかとなっていた。
しかし、ベビーカーを押して街を散歩していると、2センチ段差と5センチ段差はこんな違うのか!!とか、この角度は登れないって、、という道に出くわしたりとかいう発見が多くある。
私は今年30歳で、学生時代はサッカーをゴリゴリにしてきた男性なので(関係ないが11月までは外でテントなしで寝れる)、大抵のものはバリアにならないのだが、自身が「弱い」立場になると強制的に考えさせられる。
私は今、子どもと一緒に隣街にいくとき、エレベーターがあるルートしか通れない。子どもが生まれて、社会が整備する物に頼ることが多くなり、当事者になってこそわかることがあるのだと知った。
その他の決まりに対しても、色々考えるようになった。なんでこの道に歩道ついてないんだよ!!とか、点字ブロックの上はベビーカー押しづらいから闇雲につけていいものではない!!とか。
設計の基準書はうまくできているんだなー、と、社会って多くの人が考えてきた積み重ねでできているのだと気が付きました。意外と、複雑で重要な項目については、大枠は書かれているけど、「詳細はその場所の特性を鑑みて決定すること」とかなっているし。
これを書いていて、前の会社の社長と飲んでいたときふと言われた言葉を思い出した。
「これまでの社会は俺らがつくってきたのだから、お前らはそれに対して文句を言っていい立場。けど、お前らの子どもたちが過ごす社会はお前らがつくるんだよ。」
その時は、半分、何大げさなことを言ってんだこのおじさん酒飲み過ぎだぞ、、と実感がなかったが、今は少しだけそんな気もする。
当たり前のことは、実はすごく大事だったりして、それを理解すると自分のしている仕事に誇りをもてるとおもう。
一つ一つ積み上げて、細かいところにもこだわる仕事をする30代を過ごそう。