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久しぶりに書く

気づけばTwitterからログアウトして2ヶ月ほど。できるだけ自分の内にこもるようにしていた。
というのも、とても悲しい出来事があって、とにかく悲しくて辛くて心へのダメージが大きくて、なるべく外からの刺激を最小限にしたかった。

悲しかった出来事の詳細は書かないけれど、一つ言えるのはこれっぽちも心の準備ができていない時に触れる身近な人の死は、「寂しさ」よりも「信じたくない」という思いを強く起こさせるということ。
それでも、少しずつ気持ちの整理がついてきたので、こうしてnoteのエディタを開いてみた。Twitterはまだログインしていないのだけれど。

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簡単に近況報告をしようかな。

昨年の夏にスタートした念願の一人暮らしは、実家の経済状況が厳しくてあっという間に終了せざるを得なくなってしまった。
自分一人がなんとか食べていけるくらいの生活の中で実家への仕送りもしなければならないというのは、私の安月給では限界があった。
悔しいけれど納得するしかない現実なので、狭い狭い部屋に別れを告げて実家に戻ることに。

快適とは言えないアパート生活だったものの、半年も住めば愛着が湧くもので、狭くて寒くて収納の無いお湯の出も安定しない、そんな部屋も名残惜しさが大きかった。
でももうあんな部屋は住まないよ。今度お金を貯めたらもっと良い部屋に決めるんだから。

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相変わらず母との関係はピリピリしている。ごくごく普通に楽しく過ごせる時間ももちろんあるのに、何か母の気に障るようなことがあるとどうしたって人格否定的な言葉は浴びせられる。どれも私の気が利かなくてどんくさくてっていうことばかりなんだけれど、なかなか直せなくて自分が嫌になる。
こんな私でも受け入れて愛してよと思う半面、そうやって考えてしまうのは自分を正当化したいだけだよねと思う自分もいて、いつになったらもう少し生きるのが上手になるんだろうと他人事のように思ったり思わなかったり。

そう。生きるのが下手だなって思うと、生きるのがめんどくさくなって、「死にたいとまでは言わないがパッと消えてしまえればいいのに」とは思ってしまうんだよな。
自分から命を終わらせる勇気はないから、通り魔でも事故でもなんでも、相手が100悪い状況で私の人生が終われば保険金とか賠償金とかが入って家族の生活の足しになるんじゃないかとか、そんなことを考える日も少なくなくて。楽しいことだってたくさんあるのにね。ネガティブな日って極端なことばかり考えてしまうよね。

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1,000字を超えたから今日はこの辺でおわり。

いつTwitterログインしようかな。



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