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土地の所有について考える

僕の父が生前、こんなことを言っていたのを覚えている。

土地というのは、国から借りてるだけなんやな

どういうシチュエーションで言ったのか忘れてしまったのだけど、この言葉だけが記憶に残った。

15年ほど前から、空き家の相談が年々増える傾向にある。

所有者と話していて感じるのは、積極的に解決する意思がないことだ。

・片付けるのが大変
・面倒なことはしたくない
・貸すのは怖い
・壊すとお金がかかるし、固定資産税も増える

このような意思が、直接的な言葉だけでなく、言動、態度などから見て取れる。

「誰かがやってくれるべきで、(知識もない)自分の義務や責任ではない」という考えが透けて見えることもある。

岩波新書「土地は誰のものか」(五十嵐敬喜)によれば、現在の土地(不動産)所有に関する法律は、明治時代に制定された旧民法を基本にしている。

江戸時代には、土地は幕府から、その地をおさめる藩主にあずけられ、さらに家臣に分配されたが、所有権というよりは、占有権に近いものであったらしい。

幕府がその気になれば、いつでも召し上げられてしまうということである。

また武士以外の町民は、長屋に住んでおり土地も建物も所有はしていなかった。

今でいう賃貸アパート暮らしである。

なお、上記の話は城下町など、都市の土地に限ったことであり、農地の場合はまた勝手が違うようだ。

明治維新が起こり、西洋諸国にならう形で土地利用の概念が変わり、階級などに関わらず、誰もが土地を所有することが出来るようになったということだ。

これを絶対的所有権と称し、公益のために必要な場合をのぞいて、その所有権が侵されることはないとした。

また、所有者は(法律の制限内において)自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を持つものとしている。

その後、太平洋戦争なども経た現在に至るまで、ほとんどその精神は変わっていないと言ってもいいだろう。

ただし、昭和の末期に起こった土地バブルの反省から、次のような規制が取り入れられることになった。

それは平成元年に定められた、旧土地基本法によるもので、「開発の抑制」や「投機の抑制」である。

それまでは、自由に使用、収益、処分できたものが、一定の規制を受けることになったわけだ。

ご存じの通り、バブル崩壊は土地の値段が無限に高騰するという「神話」が信じられていたために起こった。

不動産投資家や不動産業者が、投機の目的で売買を繰り返し、利益を得ていた。

すなわち、買った土地(と建物)を、しばらくしてから売ると買った時よりも高くなったため、特に何もしなくても転売だけで大金を稼ぐことが出来たのだ。

しかし、そんなうまい話があるわけがない。

不動産投資は額が大きいので、一般的に「レバレッジ投資」であり、金融機関から金を借りて行う。

あがるはずだったものが、あがらなくなれば、金が返せなくなり破産する。

銀行などの金融機関も、貸し倒れでダメージを受ける。

それがバブル崩壊のメカニズムである。

ちなみに、一口に不動産投資といっても、投機の場合と、投資の場合に分けられる。

上記のような転売は、まさしく金を稼ぐためだけの投機であるが、土地を買って、賃貸アパートや、賃貸事務所、賃貸店舗などを建設して、賃貸事業を行うことも不動産投資である。

後者のような不動産投資は、投機には当たらないので、旧土地基本法に照らしても、問題はないというわけである。

なお、「開発の抑制」に関しては、都市領域の無秩序な拡大、スプロール現象などに対応したものであると思われるが、これがどういう問題であるのかということは、ここでは省略する。

ところが、バブル崩壊後は失われた30年と言われる時代が訪れ、不動産の高騰よりも、むしろ土地の価値がなくなる方向へ時代が変わる。

すなわち、空き家の増加である。

そこで、3年前の2020年に、今度は空き家を抑制すべく新(改正)土地基本法が制定された。

新土地基本法では、土地の所有者に「管理」をすることを義務付けた。

空き家問題というのは、土地の所有者が管理を怠っているために起こっていると考えられたわけだ。

以上により、現代の土地の所有者は、公益に反しない限り、自由に土地を使用、収益(賃貸など)、処分(売買)出来るが、投機目的の売買は出来ず、管理の義務を課せられるということになったわけである。

では、公益とはどういうことであろうか。

例えば、土地は自然災害に関係がある。

記憶に新しいところで、熱海で開発業者が、谷を埋めて盛り土をしたために、土砂崩れが起こり死傷者が出た。

これはまさに公益に反する土地の利用行為と考えられる。

その他、個人や法人などの団体による土地利用は、まちづくりや、地域住民の利益、景観、日射、通風、治安などに、影響を及ぼすと考えられる。

また、今の日本では考えにくいことだが、軍事利用するという可能性もある。

土地が軍事拠点として重要と考えられた場合、個人の土地を明け渡さなければならない事態もありえるということだ。

そもそも、国が外国の軍隊によって滅ぼされたり、軍事クーデターが起こったりすれば、法律も変えられてしまって、土地の所有権自体なくなってしまう可能性もある。

以上のように土地は公共性を持つものであるのだが、公益ということにまで考えが及ばない、土地の所有者は多いのではないだろうか。

ところで、周知の事実であると思うが、社会主義国には個人の土地の所有権はない。

旧ソ連や、中国では現在でも、国土は国の所有物であり、国民は使用権のようなものしか認められていない。

まさに僕の父が言った通り、借り物なのである。

日本は社会主義国でないが、税金(固定資産税)を払ったり、公益のために使ったり、管理をしなければならないのだから、完全に所有しているという感じでもない気がする。

借り物という考え方も、当たらずとも遠からずというところかもしれない。

さて、新土地基本法で「管理」が義務付けられたことを、果たして土地の所有者は知っているのだろうか。

空き家問題は、前述の通り、所有者に積極的に活用する意識がないことから起こっている。

明治時代に建てられた空き家の相談を受けることがあるが、調べてみると明治時代の所有者から、所有権が移転されていないケースが何度かあった。

推測すると、明治時代に土地が所有できることになった国民は喜び、登記などの新しいルールをしっかり守っていた。

ところが、次の世代になると、土地が所有できることは当たり前であり、所有できる自由や権利のほうを強く感じるようになり、義務はおろそかになる。

登記移転などのルールは知らないし、積極的に知ろうともしない。

それで、相続登記をしなかった。

さらに、太平洋戦争が起こり、男は戦争に取られ、相続人が死亡するケースが多かった。

その上「産めよ増やせよ」の掛け声により、当時は子だくさんの夫婦が多かったため、相続権者がねずみ講式に増える事態ともなった。

こうなってしまった不動産は、もはや手がつけられない。

2代相続を怠ると、相続権者は50人、100人にもなり、売買するには全員の許可が必要になる。

どこにいるかもわからないし、全員見つけたとしても、一人でも許可しないと売ることが出来ない。

こうなってくると、明治時代に、土地の絶対的所有権に舵を切ったことは正しかったのか?と思わなくもない。

江戸時代のように、または社会主義国家のように、土地は国が所有していたほうが良かったのではないだろうかと。

しかし、一方で資本主義経済社会が発展しているのは、土地を担保に融資を受けられるせいだとも言われる。

働いてためた金でしか、土地を購入したり、家を建てたりできなければ、ほとんどの人(サラリーマン)がマイホームを持つことは難しい。

土地と建物を担保にしてローンが組むことができるから、次々と新しい住宅が建てられ、ハウスメーカーや地域の住宅ビルダーも仕事に困らないのである。

空き家問題で浮き彫りになっただけで、問題は昔からあったと思われる。

土地に関しては、利用についても、建物を建てたり収益事業を行ったりするにしても、売却するにしても、法の知識が必要であり、また公益の意識も必要であるはずだ。

ところが、土地の所有者はどちらもないのが、普通である。

空き家問題に関して、もう一つ原因だと考えていることがある。

それは、所有者の不動産を経営する能力の欠如だ。

空き家を所有することになってしまうパターンとして多いのが、都会に引っ越した人の実家である。

田舎で生まれ育ち、就職して東京に行って、マンションか郊外の1戸建てを買った人の親が亡くなると、実家が空き家になり、その人は空き家を相続して所有することになる。

ちなみに、この相続を避けることは、法律上可能なのだが、事実上は不可能に近い。

半ば強制的に所有者にされてしまう。

当然、都会に家があるのだから、実家は必要ないが、リフォームして賃貸するというような不動産経営は出来ないようなのである。

よく聞くのが「人に貸すのは怖い」という声だ。

不動産経営も事業であり商売であるから、サラリーマンなどの勤め人であり、給料を収入減にしている人には、なじみがないのだろう。

また、マイホームを購入するなどの不動産の売買の経験もなければ、仲介を頼む不動産業者には、ちょっと怖いイメージもあるかもしれない。

そのため、空き家を放置してしまう。

その他、解体して更地にすると、固定資産税が増えるという問題も指摘されている。

しかし、このような空き家は売却するか、賃貸して収益事業を行えばいいだけの話であることも多い。

地域にもよるのだが、人気のある住宅地なら、高くはなくとも少なくとも買う人はいるし、賃貸物件を借りたい人もいる。

ただ持っていて、少ないながらも固定資産税を払い続け、最終的に解体費を払うことになるよりもよほどいい。

空き家が活用されれば、地域のためにもなる。

経済が活性化するし、住宅に若い夫婦が住むことになれば、学校の廃校を防いで、人口減少問題も解決できるかもしれない。

土地の所有者に必要なのは、法律の知識、経営の能力、公益の意識である。

これらを身に着けるのは、現状では容易ではないので、自動車の免許のように、免許制にすればどうだろうか。

自動車の免許は、ほとんどの大人が持っているが、実は取るのは容易ではない。

道路交通法も、それほど簡単な法律ではない。

僕の通った大学の、ある先生は「この科目の単位を取るのは、自動車の免許を取るよりもずっと簡単だ」と言っていた。

土地の所有をするにあたっては、それぐらいの勉強をするのが、適当なのではないだろうか。

それがしたくないなら、アパートに住んでいればいいのであるから。

建築家の安藤忠雄氏は、「どんな家に住んでいるんですか?(建築家だから、さぞ素敵な家に住んでいるんでしょうね)」とインタビューされて「一生アパート暮らしや」と答えたそうだ。

僕も一応、一級建築士で、宅建士でもあるが、個人的には一戸建てマイホームやマンションを買うより、後のことを考えると、アパートのほうが楽だと思う。

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