オシャレな眼鏡ってどんなもの?
最近、一人で飲みに行くのが好きだ。
釜石と鈴鹿に行き来する生活を、7年続けているが、鈴鹿にいるのは1か月のうちの4,5日というところだ。
鈴鹿に滞在しているときは、友だちから飲みに誘われたり、誘ったりして、夜は飲みに出ることが多かった。
最近はそれが落ち着いてきて、この2か月は誰とも飲みに行っていない。
やることが多かったため、ということもあった。
でも、1人飲みは2回とも行った。
1人飲みは1時間ぐらいが限度なので、忙しい時でも比較的行きやすい。
3日前に鈴鹿に来て、昨日、取り組んでいる案件に目途がたったので、10時から1時間だけと思い、近くの駅前の飲み屋街に行ってみた。
日曜日なのでどこが開いているかわからず、適当に開いている店を探して入ろうと思い、いくつか開いていた店の中から、今まで入ったことのない店に入ることにした。
でも、それがどこの店だったかは、あまり本題と関係がないので書かない。
カウンターでビールを飲んでいると、店長とおぼしき女性に話しかけられた。
「おしゃれな眼鏡ですね。どこのですか?」と。
先月の鈴鹿滞在の時に、新しい眼鏡を注文して、昨日取りに行った。
新調したばかりの眼鏡だったのだ。
「999.9(フォーナインズ)です」と答えると、店長さんは初めて聞いたらしくスマホで調べ始めた。
「日本のメーカーなんですか?」とか「1995年にできたブランドなんですね?」とかいろいろ聞いてくる。
あまりよく知らなかったので、ちょっと焦ってしまった。
その会話のあと、僕も気になってしまい、調べてみることにした。
999.9の眼鏡は、これで3代目だ(奥が2代目で、手前が3代目)。
15年ぐらい前に初めて買って、1度別のメーカーに浮気したものの、かけ心地の良さが忘れられず元のサヤに戻った。
秘密は、このツルの接合部にある、湾曲した金物にある。
しかし、湾曲した金物に秘密があることは見ればわかるが、なぜそれが生まれたのか知らなかった。
ウィキペディア情報を信じるなら、999.9の創始者、三瓶哲男という人が、西洋人の顔に合わせて作られた眼鏡が日本人に合うはずがないというところから、開発を始めたらしい。
詳しい顔の形の違いはわからないが、常々、ナイキやアディダスの靴が、自分の足に合わないことに不満を感じている僕は、すぐに共感した。
足だけでなく、顔も、日本人と西洋人は違うのだ。
日本人は足と同じく、額も幅が広いらしい。
ここからは愚痴になるが、こういうところに日本のメーカーは無頓着すぎるのだ。
見た目は気に入らないものの、国産なので足には合うと思っていたアシックスが、オニヅカタイガーというブランドを復刻した。
オシャレなアシックスが出たと思って、喜んで買おうとしたら、なぜか足に合わない。
どうやらアメリカで展開したブランドなので、アメリカ人に足型を合わせているということらしい。
日本のメーカーなのになぜ!?である…
話は眼鏡に戻る。
今になってふと思い出した。
学生のころ友だちが、眼鏡を新調したとき「今は顔に合ってないけど、そのうち顔のほうがなじむ」と言っていた。
商品に体のほうを合わせる…
明らかに本末転倒なのだが、どういうわけかメーカーにしろ、ユーザーにしろ、日本人の感覚は、こうなのである。
結局、眼鏡も靴と同じように、幅が狭くて合わないものを無理やり使っているということだったのだ。
自分も眼鏡をかけている店長さんは999.9を検索して、値段を見たらしく「私には高くて買えない」と言った。
確かに999.9はフレームだけで4万円前後なので、1万円でフレームとレンズまでセットで買えるものもあるのを考えれば、なかなかのお値段である。
しかし、服は日によって、時間によって着替えるが、眼鏡はほとんどかけえない(かけかえる人もいるが)。
靴や帽子やアクセサリーも同様だ。
しかも、僕の今までかけていた眼鏡は5年前に買ったものだ。
5年間、顔そのものの一部になる眼鏡には、なによりもお金をかけてもいいのではないか。
…あ、いや、これはそんな話ではないのだ。
999.9の特徴である、湾曲した金物は、見た目はオシャレという感じではないと思う。
少なくとも初めて見たときは「なんかちょっとへんなデザインだな」と思った。
でも、何かを感じて、試しにかけてみたら、今までかけていた眼鏡とは異次元だった。
なんというか「ふわっと」していて、かけている感じがしない。
本来デザインというのは、こういうことなのだ。
つまり、見た目をコントロールすることが主目的ではなく、あくまでも機能を追求することなのだ。
眼鏡(フレーム)に重要な機能(=デザイン)は、オシャレに見えることよりも、ストレスなくずっとかけていられる、そして耐久性があるということだろう。
だから、日本人に向けての眼鏡という点においては、999.9以外のほとんどの眼鏡は、「デザインされた」ものではないといえるだろう。
見た目だけを追求したものは、デザインとは言えない。
こめかみを締め付ける。
締め付けなくなってきたと思ったら、接合部が曲がっている。
こういうものは、プロダクトデザインの風上にも置けない。
顔のほうを合わせろというのは、もってのほかだ。
見た目がよい(=オシャレ)というのは、見た目という機能を追求した結果だったりもする。
例えば広告などのデザインは、見た目がよくなければ、見てももらえない。
一方で、プロダクトの場合は、機能を追求した結果、見た目が良くなるということもある。
また、見た目がいいとか悪いとかいう感覚なんてのは、移ろいやすいもので、流行りすたりもある。
流行りを真似したようなものは、その時にはいいけど、流行りが過ぎると途端にみすぼらしくなる。
たとえば、iPhoneの真似をして作られた、他メーカーのスマホなどは、間違いなくその予備軍だ。
機能を追求(デザイン)されているものは、見た目が長持ちするし、一度飽きても、またしばらく時間がたつといいと思うようになる。
だからデザインには価値がある。
今では僕も999.9の金物は美しいと思うし、飲みに行ったら「オシャレな眼鏡ですね」と話しかけられるのだ。
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