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給料を上げる神さま

30年変わっていないもの


ある時、ふと気づいたことがある。

大学時代、バイトを始めて高校生の時よりは財布に余裕があったせいもあるかもしれない。

外食するときは「1000円を超えないように」注文をしていた。

20才前後の時である。

今は40才を過ぎて、間もなく50才に差し掛かろうとしている。

会社の代表取締役になって、結婚もした。

さらにいうと子どももおらず、共働きである。

その僕が外食をするときは「1000円を超えないように」心がけている。

甲斐性のなさは否定できないが、問題はそれが可能だということだろう。

30年近く経っているのに、飲食代はほとんど変わっていない。

居酒屋に行って飲み食いしても、だいたい3000円前後というのも変わっていない。

他にも変わっていないものはいっぱいある。

食品、洋服、文房具、洗剤やティッシュペーパーなどの生活必需品、家電製品、なんならプライベートブランドというものが出来て、昔より安くなっているものもあるかもしれない。

100円ショップも30年前は、まだなかったか、あったとしても少なかった(知らなかった)。

物価を安く保つのは難しいことだ。

材料の値段が上がることもあるし、最低賃金の引き上げに合わせて、人件費が上がっている。

不動産の家賃や税金などもあがる。

それらの物価の押し上げ要素の対策として、企業はさまざまな経費削減方法をあみだしてきた。

昔はなかった雇用方法として、正社員を少なくし、仕事があるときだけ呼び寄せ、ない時は給料を払わなくてよい派遣社員がある。

閑散期などの余剰人件費を圧縮することで、全体の経費を減らすことが出来る。

さらに労働者が日本人だと人権や法律に守られるため、発明されたのが、外国人労働者を狭いアパートに住まわせ、低賃金で働かせることだ。

工業製品はこうしたさまざまな方法(あまり感心しないものも含み)で安い値段が保たれている。

飲食店は伝統的に安い賃金のアルバイトを駆使して、安い値段で提供する。

全国チェーンでもそれは同じだ。

しかし、アルバイトの賃金も僕が働いていた頃より上がっているようだ。

僕が大学生の時は、レストランの厨房で働き、時給は650円だった。

今は1000円以上になっている。

一体どこでつじつまを合わせているのかよくわからない。

ずっと同じでないものもいくつかはある。

例えば自動車。

30年前なら200万円以内で普通車が買え、軽自動車は100万円以内で買えた。

最高でもクラウンなどの高級車が300万円台だったと思う。

しかし、今は軽自動車が200万円近くなり、高級車は1000万円以上のものもある。

僕が従事する建築業界も坪単価は上がっている。

30年前は知らないが、20年前は坪40万円で建てられた木造住宅が、今は坪60万円ぐらいするようになってきている。

もちろん単に物価があがったわけではなく、昔より高機能になっているせいもあるとは思う。

給料は増えている?


一方、給料のほうはどうだろうか、僕が高校生の時、先生には会社でもらえる給料は、年齢×1万円だと聞いていた。

20才なら20万円、40才なら40万円、退職するころには60万円になっているという具合だ。

実際はどうだろうか。

平均年収の統計データを見ると、どうやらそのようになっている。

つまり、これも30年前と変わっていないということだ。

ネット記事によっては、少し減っているという統計もあるようだ。

税負担率については、30年前ではなく50年前と比べて、20%も増えているらしい。

消費税が10%になった現在は所得の約45%が税金として持って行かれ…いや負担している。

これらの現象をごく簡単に表現すると、物価は上がらず、給料はよこばいか少し減り、税金は増えている。

一方、アメリカの物価は毎年2%程度上昇し、2000年から2018年頃までに約40%あがったらしい。

僕は高校の時に、アメリカにホームステイで行ったことがあるが、感覚的に日本の物価の半分ぐらいだったように思う。

当時は日本が世界一の経済大国だと言われていた。

最近アメリカに行ったことはないが、聞くところによると、日本より物価は高く、ともすると倍ぐらいのイメージだそうだ。

アメリカの場合、経済的格差が日本より大きいようなので、肌感覚で測るのは難しいかもしれないが、昔は日本より物価が安く、今は日本より高いということは、間違いないと言っていいだろう。

アメリカの物価指数を比較すると、高校生の頃の1988年は118.28で現在(2021年)は264.71となっているので、約2.2倍だ。

33年は短くないが、当時はアメリカに行っても、ヨーロッパに行っても「日本人は金持ち」と言われていたことを考えると、隔世の感がある。

物価があがらない原因


原因はなんだろうかと考えると、それはやはり「安売り」のせいではないかと思う。

飲食店でいうと、吉野家の牛丼は昔より安くなっている。

サイゼリアは昔は東海地方にはなかったが、登場した時はドリアやパスタが300円前後で食べられることに驚いた。

衣料では、ユニクロは大学生のころに増え始めたが、こちらも安さとクオリティの高さに驚き、それは今も変わらない。

100円ショップも僕が大学を卒業するころに増え始めた。

近年は小売り店のプライベートブランドが増え始め、従来の値段より安いものが出てきている。

これらは30年前と比較しても安いかもしれない。

また、インテリアの相場には詳しくないが、ニトリやIKEAのような安い家具は、昔はなかったのではないかと思う。

インテリアから家電、生活雑貨に至るまで、あらゆるものを安く売っているアイリスオーヤマという会社も出てきた。

市場経済社会では、こうした企業だけが安売りをするだけでは済まない。

同じ品質のものを販売した場合、安いものは売れ、高いものは売れ残る。

これは必然的な法則であり、他の企業も同じ金額にするか、それが無理ならば市場からの撤退を余儀なくされる。

安い値段で商品を提供するには、他の会社がやっていない「秘策」が必要だ。

例えばそれは人件費の安い発展途上国で作ることや、原料を安い国から仕入れること。

ある事業の余剰材料を使って、商品を作ること。

事業のスケールを大きくしたり、複数の事業を同時に行って、製造や流通の効率を上げることなどがあるだろう。

それぞれの企業はライバル会社に真似できないアドバンテージを見つけては、価格競争を有利にしようとする。

ライバル会社は、それならばと、別の方法でアドバンテージを探して対抗する。

利益はどんどん少なくなり、しのぎを削る過当競争がはてしなく続いていく。

効率化によって価格を下げるのはいいことだと思うが、問題は人件費を下げる方向にならざるを得ないことである。

前述の発展途上国で作ることもその一つではあるが、何十年もすれば、だんだんと発展途上国も物価や賃金が上がってくる。

問題になっているのは、たとえば前述したような派遣社員と外国人技能実習生である。

派遣社員の給料は一般的に安く、技術職の場合でそれなりの給料であっても、安定的な職業とは言えない。

企業の業績や、外部条件によって、突然仕事がなくなることもある。

リーマンショックの年には、解雇されて年が越せない派遣社員だった人たちの、年越し派遣村が出来た。

外国人技能実習生や、外国人労働者の問題は、20年も前からあるようだが、最近になって待遇のひどさが明らかになってきた。

今や国内のほとんどの工場では、彼ら低賃金の労働者失くしてなりたたない状態になっていると推測される。

それらの工場は、一般的に完成した製品を作って売るというより、大企業に部品を提供する会社であり、得意先からの厳しい値下げ圧力からのがれられない。

僕らが高校生の時、当時のカリスマ的なパンクバンド、ブルーハーツがTRAIN TRAINという曲の中で

弱い者たちが夕暮れ さらに弱いものを叩く

と歌っていた。

それがこのことを指しているのかはわからないが、まさにこの構図だ。

派遣社員、外国人労働者のみならず、正社員も受難の時代だ。

厳しい値下げ競争のためには、あらゆるものをコストカットする必要があり、それは正社員にも及ばざるを得ない。

しかし、給料を下げるということは難しい。

そこで考え出されたのが、ブラック労働だ。

残業代を払わず、サービス残業をさせることで、時間当たりの人件費を下げることが出来るのだ。

この傾向は、上記の工場などというより、管理部門やデスクワーカーに適用される。

僕がいた業界(あるいは今もいる業界)は伝統的に、無償残業で仕事を成り立たせている業界だ。

上述したように一戸建て住宅の坪単価は上がったが、アパートなどの家賃はほとんど上がっていない。

どこで圧縮されているのかは、推して知るべしだろう。

もはや15年前の昔になってしまったが、耐震偽装問題というものもあった。

これは、建設費を圧縮するために施主やデベロッパーから「経済設計」の厳しい指示に耐えられず、構造設計者が構造計算を偽装したという事件である。

なぜ構造設計者が偽装までしなければいけなかったのか、それには生活の苦しさもあったという。

「鉄筋の量を減らせないというなら、他の設計者に頼む」と脅され、同氏は仕事の大半をその一社に依存しており、断れない状態に陥った。

いずれにしても、価格競争の流れが働く人を苦しめている。

誰が給料を上げられるか


この犯人を捜すとき、経営者や一部の大企業、政府の政策などに疑いの目が向かいがちである。

しかし、果たしてそうだろうか?

品質が同じで金額が違えば、人は安い方を買う。

そんなのは当たり前のことだろう。

僕だって100%そうする。

しかし、日本の物価が上がらず、給料もあがらないのは、実はそれが一番の原因なのだ。

高いほうは正社員を正当な対価と労働時間で雇い、派遣社員や外国人を不当に安く雇わず、下請けや仕入れ先を叩かない会社で、安い方はその逆かもしれない。

しかし安い方を買えば、正社員をブラック労働させ、派遣社員や外国人を安く雇って使い捨てにし、下請けや仕入れ先まで圧力をかけている会社の体制を、正当化することになってしまう。

さらに高いほうを売っている会社は、業績が悪化して倒産してしまうかもしれない。

ところが、この一般の消費者を犯人にすることは出来ない。

なぜなら、それは自分自身だから。

そのためにさまざまな理屈をつけて、経営者や大企業や政府を批判しているのだ。

昔の政府は、価格が下がりすぎないようにコントロールしたり、一部の産業に参入障壁を作ったりして増えすぎないようにしてきた。

江戸時代には一定の地域に、独占で産業を割り当てるということもしてきた。

よいか悪いかはともかくとして、そうすることで、富と余裕が均等にいきわたることを志向したのだ。

しかし、現在は国民主権の社会であり、自由競争の経済社会であり、政府よりも国民のほうに権力がある。

法律は常に消費者の保護の側に傾く。

経営者や大企業にしたところで「お客様は神さま」との格言を待つまでもなく、消費者の奴隷のようなものだ。

そんなことはないと思うかもしれないが、消費者は高いものと安いもがを並んだ時、安いほう買うことで、無意識にブラック企業を支援し、ホワイト企業を抹殺しているのだ。

多少、極端ではあるが、これがブラック企業が生き残る構図だ。

さらに、国民主権、消費者至上主義を推し進めることで、クレーム社会ともなってきた。

つまり、舵を握っているのは国民であり、消費者なのだ。

格言通り、国や経営者や大企業より偉い「神」なのだ。

したがって、神のように社会をよく知り、神のようにふるまわなければならない。

企業というのは売り上げが上がるだけでは、よりよいものにはならず、利益が出ることが重要だ。

それによって、社員の給料を上げたり、永続的に運営するための設備投資をすることが可能になる。

価格競争が激しければ、利益はあきらめざるを得ない。

2021年現在の日本の商品や、飲食店はあまりにも安すぎる。

品質が同じで高いものと安いものが並んだ時に、高いほうを買うことはなかなか難しい。

単に高いほうを買うのではなく、いずれが「ホワイト」か判断する必要もある。

なかなか難易度が高いが、よりよい社会を目指すためには、そのような自制心や高い視座を、国民一人一人が持つべき時代に来ているのかもしれない。

もちろん全く、経営者や大企業や政府のせいではないという話ではない。

しかし、消費者、国民の行動、動向、意識などによって、方針を決め、実務を行っているというところから考えれば、原因というより、過程を担っているにすぎない。

そもそも、彼らにしたところで主権を持つ国民の1人ではあるし、当然、消費者としての側面もある。

国家公務員をはじめとする、公務員の知り合いなどを見ると、消費行動に関しても意識の高さを感じる人は多い。

いずれにしても、給料が上がらず、職業は安定せず、時間に余裕もない日本の社会の状態は、過剰な価格競争による、物価(サービスを含む)の安さのせいだ。

それは、一人一人の消費者の消費行動が、主な原因となっている可能性が高いのだ。


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