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天才と競う必要はない

今年、宅建士の試験を受けた。

建築設計と宅建業は近くて遠い業種であり、本来、建築士に宅建士の資格は必要がない。

少なくとも、僕が就職して今に至るまではそうだった。

ところが近年、一旦分業化された職業が、再び統合される現象が起こっている。

空き家のリノベーションでは、自分で設計も、工事の手配も、DIYで工事をすることもある。

自ら物件を借りたり、買ったりすることもあった。

本来は設計だけをするのが建築士だったが、周辺の領域にまで、かなり職域が広がってきた。

そこで、宅建士の資格にも、多少の必要性を感じるようになった。

宅建士試験は4年前にも受けたことがあったのだが、一級建築士を持っているという慢心もあったかもしれない。

落ちてしまった。

原因は明らかな勉強不足。

記憶では1か月前から勉強して落ちたと思い込んでいたのだけど、改めて記録を調べてみたら、本格的に勉強をしたのは10月に入ってからだった。

宅建士の試験は10月の第3日曜日で、約半月勉強したようだ。

時間にして約50時間。

今年は年齢のこともあるけど、自分は決して頭がよくはないという前提に立って、勉強の計画を立てた。

細かいところには、いろいろ工夫もあったのだけど、一番大きなところとして「勉強時間を管理する」ことにした。

7月の中頃に申し込みをして、その日から毎日2時間勉強しようと、まず考えた。

試験日は10月18日なので、約3か月だ。

90日とすると、180時間になる。

ネットで宅建士合格のために必要な勉強時間を調べたところ、あるページには200~300時間とあった。

それが正しいとすると、180時間だと少し足りない。

それでは試験1か月前から1日3時間にすれば210時間になるな…というような、大まかな計画をたてた。

実際には計画よりも多く、のべ260時間勉強した。

結果は合格である。

こういった、データに基づく勉強の仕方は、実は一級建築士受験の時に学んだ。

一級建築士を取るために通った資格学校の最初の授業は、どうすれば一級建築士を取ることだできるかの心得、とりわけデータの話に終始した。

例えば、授業を全部休まずに受ければ合格率○○%、1回休むと○○%、2回以上休むと○○%以下になるというようなことだ。

○○の数値は忘れてしまったので書けないのだけど、2回休むと半分以上、不合格になるというようなことだったと思う。

あとは、学科ごとに何点とれば、合計で合格点に達するというようなことだ。

学科ごとに難易度が違って、僕が受けた時は4教科だったのだけど(今は5教科)、内2つの教科は難しいので、2つで満点を狙えということだった。

実に明快でわかりやすい。

そして、ここで重要なのは、頭がいいかどうかは、ほとんど関係がないということだ。

10代のころには、中学受験、高校受験、大学受験の勉強があったが、頭がいいかどうかが合否にあたっての重要な要素だと思っていた。

だから、これには、目からウロコが落ちた。

大学に入って以降は、就職してからも、資格試験を受けるようになる。

ほとんどの人が受けるのは、普通自動車の運転免許だ。

資格試験は、学校で勉強してきたこととは、あまり関係がない。

みんな同じスタートラインからスタートする。

大学の先生に言われて今でも覚えていることがある。

「君たちの多くは自動車の運転免許を取ったか、これから取るところだと思うが、運転免許の筆記試験の半分以下の勉強で、この単位は修得できる」ということだ。

そのことも思い出した。

普通自動車運転免許の筆記試験は、偏差値などと関係なく、誰にとってもそれなりの難関だ。

頭がいいかどうか、無関係ではないが、頭がいいからといって、半分の勉強時間で合格できるようなものではない。

一方、学校の勉強は積み上げていくものだ。

始まりは小学校からだ。

九九を覚えていなければ、数学は得意にはならないし、漢字を覚えていなければ、国語が苦手なのも無理はない。

積み上げていく過程の、どこかでつまづくと、その後ずっと勉強が出来ず「自分は頭が悪い」という認識になってしまうのだ。

でも、本来は頭の良さには、それほど差はなかったのだ。

勉強に限らず、学校にいるときは、能力の差というものを意識させられる場面が多い。

体育もその一つで、短距離走や陸上競技は、明らかに数値で運動能力の差が出る。

球技に関しても、得点数などで定量的に判断できるし、ある局面を客観的に見ればだいたいわかるものだ。

野球の守備におけるファインプレー、サッカーやバスケットの華麗なドリブルなど。

でも、これらを仕事の能力に置き換えてみると、実はそんなに差がない。

例えば高校の授業の100m走は、クラスの早い子で11秒台、遅い子でも13秒台ぐらいだった。

割合にすると1割から2割の間でしかないが、11秒と13秒では、能力的に倍以上も差があるように感じないだろうか。

しかし、これを仕事の早さとして考えると、1割から2割早いだけのことだし、訓練すればもっと差は縮まるかもしれない。

100m走はいくら早くても10秒を少し切るぐらいが、人間の限界なのだ。

仕事には時給という概念があり、多くの業種は時給によって仕事量と経費が計算される。

わかりやすいところでいうと、アルバイトやパートの時給だろう。

この時給には個人の能力の差というものは、ほとんど考慮されていない。

雇う側からすると、1人の仕事量は、誰がやってもそんなに変わらないのだ。

こういう風に考えると、社会を見る目は大きく変わってくる。

誰だってなりたい職業につくことが出来るのだ。

前述の一級建築士の試験は、頭がよくないと取ることが出来ないと思われているが、僕の知る限り、頭がいいかどうかは関係がない。

おそらく大学を出ていない人は、高校の時の偏差値は40前後だっただろう。

しかし、専門学校出で、一級建築士を取る人は、いくらでもいるのだ。

一方、国公立大学を出て、偏差値60ぐらいはあったと思われる人で、試験に何度か落ちた人も知っている。

一級建築士は簡単な試験ではないが、一定時間勉強すれば、誰でも合格することが出来る。

ほとんどの人は、人間の能力には大きな差があると思っている。

実際には、もともとの能力にはそんなに差はないし、訓練でいくらでも高めることは出来る。

学校の授業には国語、数学、英語、理科、社会ぐらいしかなく、部活では、野球、サッカー、バスケットボール、バレー、テニス、卓球、水泳など数えられるほどしかないが、社会には数えきれないほどの仕事がある。

スポーツの競技ほどにルールがきっちり決まっている業種もなく、新しい方法を考案することも出来る。

勉強やスポーツがふるわなかった人でも、戦略的に物事をすすめれば、その業界で上位に立つことも不可能ではないのだ。

ただし、注意しなければならないことが一つある。

例えば、スポーツの選手として世界の舞台に立ちたいと思っても、不可能な場合があることだ。

他には芸能人になりたいとか、シンガーソングライターや本の作家になってミリオンセラーを出したいとか、そういった類の「なりたい」は、かなえられる可能性が低い。

仕事によっては、人を選ぶものもないではないということだ。

多くはエンターテイメントに関わるものになるだろうが、最もすぐれた一握りの人にしかなれない職業がある。

プロスポーツ、音楽のアーティスト、タレント、俳優、芸術家、作家、プロ棋士など、お笑い芸人などもそうかもしれない。

これらの職業はトップに立たない限り、生活もできないほと収入が少ない。

人間には頭のいい悪い、運動能力の高い低いはないと書いてきたが、その世界では、わずかな差が命運をわける。

いわば「天才」でないとなれない仕事なのだ。

天才には、そうでない人は、いくら努力してもかなわない。

そして、ある世界で頂点に立つ人、つまり天才には特別な賞賛と、富が集中的に与えられるようなっているのだ。

建築家の安藤忠雄氏が、本や講演でよく語る話に「若い時はボクサーを目指していたが、ある時ジムに来たファイティング原田を見て、プロの道をあきらめた」というのがある。

ファイティング原田とは、後に世界王者になったボクサーだ。

安藤忠雄氏は、そこでボクサーをあきらめて、建築に転向した。

結果、建築の世界でトップに立ったが、ボクサーを続けていたら、なんの世界でもトップになれなかったかもしれない。

ボクサーとして大成することは狭き門であり、トップに立てるのは天才だけだ。

そして、トップに立たなければ職業として成立させるのも難しい。

しかし、建築家(建築士)はすそ野の広い職業だ。

トップにならなくても、少なくとも十分な収入を得ることは出来る。

一級建築士の試験に合格すれば、最初のハードルはクリアできる。

試験で1番の成績を取ったとしても、関係がない。

天才を視野に入れると、自分が無能だと感じてしまうが、世の中の人のほとんどは天才でないことを考えれば、誰であっても、決して無能ではない。

その中で成功できるように、戦略的に自己訓練すれば、誰にでもチャンスはある。

もちろん、天才でないとなれない仕事にチャレンジするのは悪いことではない。

しかし、その他にも職業は無数にあり、誰にだって、その世界で大きな成功をおさめる可能性はあるのだ。

頭のいい悪い、能力の高い低いに、それほど差はない。

世界で一番足が速い人でも、100mを5秒とか3秒とかで走れるわけではない。

現在の世界記録はウサインボルトの9秒58、男子高校生の平均タイムは約12秒、女子高校生の平均タイムは約14秒と、女子でもせいぜい1.5倍程度であり、倍の速さでは走ることは出来ない。

この能力差を、仕事量の差として考えてみると、最盛期のウサインボルトが1日8時間働くとすると、平均的な日本の女子高校生が12時間働けば同じである(してみると、日本が未だ経済的に強いのは、長時間労働のせいかもしれない…)。

また、100m走では絶対に勝てないが、100m走ってから数学の問題を解いたり、料理を作ったりする競争なら、最盛期のウサインボルトにも勝てるかもしれない。

そう考えることで、大きな希望が生まれてくる。

そして、自分が今、どういう努力をすれば、より豊かな人生を送ることが出来るのかが、見えてくるのではないだろうか。


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