水溜りボンド特集「日課の如しエンタメ」

YouTuberから、手紙をもらった。
思ってもないことだった。
12月27日の品川ステラボールでの水溜りボンドのライブ第3部に行った人、ライブビューイングを見た人ならぴんとくるだろう。彼らは視聴者たちへの手紙を書いてきて、その直筆の手紙のコピーを、来場者全員にプレゼントしてくれた。
内容は切実なものだった。とても、感動した。いつも私に勇気をくれているクリエイターから、生の言葉が、感謝が、思いが、語られたのだ。
そして、彼らからの手紙に書いてあった言葉が、今回私がこの記事を書くにあたったきっかけになっている。

「このイベントは、YouTubeの逆です。」

ずっと、YouTubeと逆の、ナマの一回きりの演劇という世界だけを信じてきた私に、この言葉は深く深く、突き刺さった。


本題の前に

というわけで、前回の記事からそんなに間が空いていませんが、すぐに書かなきゃいけないことだと思ったので筆をとっています。
前回の「YouTuberは見せたいのか? 記録したいのか?」を書き終えてネットにアップした翌日の朝、私は通勤電車の中でアバンティーズのエイジくんの訃報を知りました。
友人から「皮肉にもタイムリーな記事になって意味が付加されてるね」と言われましたが、あの記事で私がグダグダ語っている「記録する」だの「見せる」だの、そんなことは本当にどうでもいい気持ち悪いオタクの戯言でした。戯れ言に、留まっていたら、どんなによかったかと思います。彼らが記録していること、彼らに魅せられてしまった私たち、というただそれだけのすれ違いに、こんなに深い意味は要らなかった。
でも、私たちはのこされてしまった。
YouTuber界は異常なぐらいShow must go on.だったけれど、正直彼の死を受けた2019年のこの業界がどうなっていくのか、私の中では様々な憶測が浮かんでは消え、とてもじゃないが今すぐ希望は語れそうにありません。
でも、私たちは2019年を生きていくはずなので、残します。書きます。
少しでも楽しいことを、彼らの熱い魂のことを。
改めまして今年も宜しくお願い致します。


異色のYouTuber、水溜りボンド

気を取り直して、今回のテーマは、「ナマ」と「動画」。
ずっとずっと生の舞台に拘って芸術活動をしていた私と、それを打ち壊してくれた私の推しYouTuberの話だ。
私がYouTuberというものを知ったのは他でもない水溜りボンドのおかげだ。
他のいろんなクリエイターにも詳しくなったが、今でも私が一番好きなのは、水溜りボンド。
出会いは去年の6月頃のことだった。
仕事が休みでゴロゴロしていたある日、私はYouTubeで都市伝説の検証や、心霊スポットに乗り込む動画をあげている人たちがいるのを発見し、関連動画に導かれるまま彼らの動画を見漁った。
何をしているのかよく分からないけど、なんだか妙に笑えるし、なぜか惹き込まれる。
というのが最初の感想だった気がする。
こうして私は、水溜りボンドという名のコンビのYouTuberと出会った。
そのうち彼ら自身にも興味が湧いてきて、彼らの違う一面も見たくなって、ホラー関連以外の動画も見始めた。
するとその、なんだか分からない職業の、謎の青年二人組のプロフィールがだんだん明らかになってきて、

彼らがカンタとトミーという名前で、
大学のお笑いサークルの同級生として出会い、
もともとは大学生お笑いコンビだったこと、
YouTubeを始めてからは、4年間かかさず毎日投稿を続けていること、
売りは「YouTuber界のNHK」と称されるほど、堅実で過激さに頼らない実力派の動画で、
最大手ネットクリエイター事務所UUUMに所属し、
今乗りに乗っている若手YouTuberであること。

を、知った。
私が彼らの何が好きって、それを語ろうと思ったら一晩かかっても足りないんだけれど、頑張ってまとめるとするならば、お互いの才能に惚れ込んでいるところと、ユーモアがあって話すのが上手いところ、二人ともチャーミングで優しくて仲がいいところと、異常なまでの熱意と元気があるところ、かな、全然まとまってないな。
オタクのラブコールはさておいて、真面目に紹介しよう。
彼らは他のYouTuberとは少し違うと思う。
それはやっぱりお笑いというステージエンタメを経験しており、その延長線上で今の活動を成り立たせているからなのかもしれない。
彼らはいい意味で包み隠さず、下心がちゃんとあってガツガツしている。人の心を動かしてやろう、というエンターテナーとしての心意気に、後ろめたさや気恥ずかしさがなく、堂々としているのだ。
だから、前回の記事で書いたような、「俺たちは俺たちが楽しいからやってるだけ」という、ファンキーなやつらの思い出作りの美学だけでは、彼らのことまでは語り切れないと思い、今回個別に扱うことにした。


日常を彩るクリエーション
彼らの毎日投稿の動画たちには、“蓄積していく膨大な量の記録”という印象よりも、“毎日同じ場所にいてくれる安心”、という印象を持つ。
「毎日投稿」とかいう他の追随を許さない超人的なことをやり続けているにも関わらず、あまりにもその供給が安定しすぎていて、私たち視聴者にとってもそれは日常に過ぎないものになってくる。
彼らのことが大好きなので、感覚が麻痺して尊さを忘れるなんてことは勿論ないが、それでも動画視聴は私にとって年に一度の待ちに待ったお祭りではなく、仕事終わりの一服とか、夕飯に出てくる美味しい白米とか、そういう幸せに近い。
ちょうどライブを見に行った日、ハフポストで水溜りボンドの取材記事が出ていた。
そこで彼らは、
「お笑いをやっていたときは、決まった時間と場所に、見に来てもらわなければいけなかった。もっと手軽にいつでもアクセスしてもらえるために、YouTubeを始めた」
と語っていた。
だから、私が水溜りボンドの動画のことを、仕事終わりの一服と同じような至福だと感じているのは、彼らの狙い通りのことなのだ。
水溜りボンドは、テレビや劇場に出演するお笑い芸人という形ではなく、ネットで無料視聴できる動画という、何より身近で手軽な方法で、毎日視聴者の一番近くに存在することを選んだ。そしてそれが彼らにとっても天職だったのだろう。
言葉にすればこんなに簡単だが、姿も見えず不確かな、無責任に移ろっていく視聴者という不特定多数に寄り添い続けることは、生半可な気持ちでは不可能だ。
鑑賞にお金も払わず、ただ日々の暇つぶし程度のモチベーションで、空き時間に気が向いたら動画を再生する、という視聴スタイルに合わせようとすると、非常に速い速度で巡っていくその時の流れに、振り落とされないようにしがみつかなくてはいけなくなる。本気じゃなかった人を、本気にさせなきゃいけないからだ。
“動画はクリエイターが死んだあとにも残る”が、視聴者の興味や熱狂は、時として一瞬のうちに冷めることもあるだろう。
YouTubeの時間感覚はシビアだ、と常々感じる。一週間前の動画がとても昔のことに感じられることもあるし、数日投稿しなかっただけで、そのクリエイターのことが頭から抜け落ちることもある。更新頻度が高くても、怠慢な内容では見なくなる。
このデリケートなYouTubeの時間感覚を非常に上手く乗りこなしているのが、水溜りボンドというクリエイターだといえよう。
彼らは火を燃やし続け、然るべきタイミングで薪をくべて大きな火柱をあげるのが上手い。

(実際昨年には「投稿数をさげて動画のクオリティをあげよう」という動きがクリエイター内で起こっていた。が、そのなかで「毎日投稿はやめずに、クオリティもキープする」という“狂った選択”(水溜りボンド談)をしたのが彼らだ。そしてその言葉通り、私の中ではもう毎日毎日「好き」という感情のギネス記録が更新されていっている……!)

おかげで、私たちは彼らに毎日意識されていると感じ、彼らを毎日意識するのだ。
そして、視聴者たちが1日も欠かすことなく意識し続けた彼らが、ステージの上に立ち、目の前に現れたとき、感動の声、表情、「会えた」という非日常に対する高ぶりが、数千人の「本気にさせられちゃった人たち」から一気に発される。
彼らがステージに立ったときに受ける歓声の大きさは、彼らが視聴者一人一人に毎日寄り添い続けるその努力と功績に比例して、今後も大きくなり続けることだろう。
水溜りボンドの毎日投稿を追いかけ始めてから半年弱、初めて彼らの姿を生で見た12月27日のライブでそれを確信した。
彼らはナマのステージでも、エンターテナーとして全力で楽しませてくれただけでなく、高いところから大勢のファンたちを見下ろして慢心する様子は一切なく、私たち視聴者との時間を対等に大切にしてくれたからだ。
ライブが終わってしまうのが名残惜しかったし、すぐにまた二人に会いたい、今日は二人に会えたんだ、という感覚がした。
このライブで、
「時間が決まってて、場所が決まってて、お金払って来てもらうこのイベントは、YouTubeの逆だ」
といった内容のことを、トミー氏が言った。ハフポストのインタビューでも語られていたのと同じ内容だった。
そう、彼らが毎日やっていることは、平凡な日常に小さな幸せを添える行為で、この日のライブイベントは、それとは真逆の非日常の祭りに遭遇する喜びだ。
日常と、非日常。「ハレ」と「ケ」。
お笑いをやってきたけれど、もっと視聴者の近くにいきたくて、もっと相方とグダグダ喋る日常を大切にしたくて、YouTubeの世界に飛び込んだ水溜りボンド。
演劇をやってきたけれど、就職して演劇から離れると突然YouTuberの魅力に取り憑かれてしまった私。
はっとして、そのときリンクした。


私を救った「動画」との思い出

“本気になれるのはステージに立っている人たちに対してだけ”
“人生最高の体験は絶対にナマのエンタメ”
と思い込んでいた過去の自分を、今では愚かしく思う。
私がミュージカルを本気で作ろうと思った理由は、「RENT」という作品に出会ったことで悩める思春期の孤独さから命を救われ、作者であるジョナサン・ラーソンの「お金も教養もない若者たちにミュージカルを楽しんでほしい」という考え方に深く賛同したためだ。
しかし、私はナマの舞台を観に行ったときの、電撃が走るような劇的体験によって命を救われたわけではない。実際のところ、私が初めてナマでRENTを観たのは、その決意から4年ほど経過したあとのことだ。

私がこの作品に命を繋がれた、と感じるに至ったのは、BSで放映していた「RENT」の録画を、何年にも渡って何十回も繰り返し再生する、という行為によってだった。

つらいことがあってもなくても、時間ができると、一人でRENTの録画を再生して、ティッシュを使い切るぐらい泣くのが、私の習慣だった。非日常の衝撃的な出会いではなく、最早それが日常だった。
どんなことがあっても、いつでもあの映像は私の手元にあって、いつでも再生できた。消えることなく残ってくれていた。それが、とてつもない安心感だった。
高校生だった。狭い世界の中で生きていて、発散する場もない、秘密を打ち明ける度胸もない、世間知らずで、臆病で、月のお小遣い5000円しか持っていなかった。
そんな何も持っていない、何もできない私は、いつかこんな素晴らしい舞台を私も作ってみたい、と自宅のリビングの椅子に縮こまって泣きながら何度も夢に見た。
確かに、生演奏、空間の共有、役者の身体が目の前で躍動すること、豪奢な舞台美術を目の前で見られること、その体験はお金には変えられない貴重な財産になる。
でも、だからといって、私が心の支えにしていた一つの映像を繰り返し見返すという行為が、無価値で軽んじられて当然の“つまらない日常”と呼ばれることが、許されるだろうか。
あの平凡な日々が、私の人生に与えた影響の大きさを気付かせてくれたのは、演劇をやってきた自分の人生とは全く無関係だと思っていたYouTuberだった。

1年を動画で数えよう
もしかすると、私だけではなく、世間一般の認識として、「ハレ」のエンタメだけが尊くて、「ケ」のエンタメはそこそこでやっていればいい、価値として「ハレ」に劣るもの、というような風潮があるかもしれない。
でも、仕事終わりに吸うタバコが不味かったら労働なんかやってられるか?
1日のなかのたった数分で、人生に彩りを添えること。
それができるのがYouTuber、とりわけ意識的にそれを実現させているのが水溜りボンドだ。
強いられる労働ではなく「好きなことして、生きていく」というまったく新しい人間存在の価値もさることながら、YouTuberは私に、特別ではないものの大いなる優しさと強さを教えてくれた。
これは、人の命を支えてもおかしくない、偉大なパワーだ。
RENTの録画やYouTuberの動画たちが、私の生活の隅々で支えてくれて、楽しませてくれて、いつでも待っていてくれるこの日々のことを「ケ」と呼ぶなら、液晶の中から彼らが飛び出し、舞台上で魂をほとばしらせるのを目撃しにいく日のことを「ハレ」と呼ぼう。
どちらも大事だ。どちらも味方だ。
水溜りボンドにまた会える日のことを想像すると、本当にワクワクする。
その日まで、彼らの動画に勇気付けられて、毎日へこたれずに頑張っていこうと思う。

「RENT」で一番有名なナンバーは「Seasons of love」だ。
この曲は「1年は525600分、君なら1年を何で数える?」と問いかける。
サビでは「How about love?」(愛で数えるのはどう?)という言葉で締めくくられるが、そこに至るまでには朝日、夕日、コップ一杯のコーヒーや、スピード違反の切符、笑い、などの平凡な日常を表す固有名詞が並べられていく。
私だったら今、水溜りボンドの動画で一年を数えるって答えるだろう。
で、多分これが暫定的には愛ってやつだ。
この作品は、1980年代のニューヨークで暮らす貧乏芸術家、すなわちボヘミアンたちの、破天荒でクズだけど、夢に向かってひたむきな生き様や、友情や恋愛を描いたものだ。
冒頭シーンはクリスマスイブの夜。映像作家のマークがカメラを回し、作曲に集中している同居人で元バンドマンのロジャーを勝手に撮影し始める。
二人のシルエットは、なんとなく水溜りボンドのカンタ氏とトミー氏に被って見えてくる。
このシーンを思い返しながら、「これは私が将来YouTuberにハマる伏線だったんかな〜」とほくそ笑むのが幸せだ。

2019.01.18  みやかわゆき



参考
水溜りボンドのYouTubeチャンネル
水溜りボンド、4年間の挑戦と本音「YouTuberになったほうがいいよなんて言えない」|ハフポスト

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