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My dream is...

大学4年生です

そう言った後に必ず聞かれることがある。

"就活"ですか?

いつから大学はサラリーマン養成学校になったのだろうか。

いつから大学4年生="就活"となったのだろうか。

最後の大学生活を送る私たちは"夢を語れない大学生"だった。

自分の夢

同期の尊敬する仲間がいる。彼女には夢がある。

"将来、自分のブランドを作りたい"

"DJをしたい"

"モデルをしたい"

彼女は夢を実現するために日々活動している。

その姿はとても眩しくて、美しい。

ここ二日間ほど、彼女と一緒にいた。

そのときに出会った大人たちに聞かれた言葉が、あの言葉だった。

(大学)4年生です

そう言ったあとに必ず聞かれるのが、

"就活"ですか?

私は親、祖父母がみなサラリーマンだったこともあり、"就活"にそこまで違和感はなかった。

("就活"という制度には疑問があるが。)

ただ、この二日間、先ほどの質問に対する彼女の回答を隣で聞いている私には、心苦しいものがあった。

あ、はい、就活中です

そう答える彼女の顔が私にはどこか引きつっているように見えた。

今日、思い切ってこのことを彼女に聞いてみた。

私は"就活生"だったから何も思ったことはなかったけど、
世間は大学4年生="就活"っていうイメージが強いんだね。
〇〇が自分の夢を話していないのを見ていてそう感じた。
そう、そうなんだよね。
最初に聞かれるのは必ず、就活ですか?なんだよね。まあ、私のやりたいことってなかなか一言で説明しきれないし、説明するとめんどくさくなるからいいんだけどね。でも地方は特にこの傾向が強いから言いにくいよね。

会話のとっかかりとしての、さりげない会話のなかの、

就活ですか?

なのはもちろん理解している。

でも、そんな日常の何気ない会話だからこそ、

"夢を語れない"のはなにか少し悲しい気がした。

大学は校則がなく、自由に学べるからこそ、自由度が大きいところだと思っていた。

でも、3年生、いや今では大学入学直後から、

一流企業の一流サラリーマンになるための競争が始まっている。

いつから大学は”サラリーマン養成学校”になったのだろうか。

もちろん、そう(サラリーマンに)なることが現在の多くの個人の幸せであるわけで、事実、この世の多くの社会的価値は多くのサラリーマンによって生産されている。

そういう、私も4月からサラリーマンだ。

でも、この環境によって、

"夢を語れない大学生"が存在しているのは事実だ。

総合大学だからなのか。

芸術大学や音楽大学だったら話は変わったのだろうか。

いいや、それらの大学でも同じではないだろうか。

私たちは、アンコンシャスバイアスの中でコミュニケーションをしているのだ。

夢は実現するもの

彼女を見ていると思う、

彼女の活動はそれ自体が、いや、彼女自身が

”夢を語る大学生”や"夢は実現するものであること"を象徴する、

アイコン的存在になっている。

10代、20代が堂々と夢を語り、夢に向かって行動する。

そんな生き方を彼女は体現している。

私の夢ってなんだろう。

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