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リリック with エッセイ

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オリジナルのリリックにエッセイを添えて・・・。
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#オリジナル歌詞

みんな少年・少女だった。

無垢な心が、いつのまにか色をつけ始め、さまざまな付着物がその表面を覆う。幼いころの体験では、反抗することを覚える間もなく、恐れという感情を先に味わってしまった人もいただろう。でも、たとえ一瞬だとしても、純粋な少年・少女だった時代は誰しもあるのではないだろうか。たまには、そんな時代を思い出してみたい。気持ち一歩前に踏み出せるかもしれない。 「みんな少年・少女だった」 なぜか 重くなる 背中 秋風の ビル街 宙に舞う 枯れ葉に 幼き日の 記憶が 蘇る 背負うものが なにもなか

「まあいっか」気分で。

ビジネスでは大なり小なり、会議やミーティングがつきもの。その他学校のサークルやPTAなど、組織の中では必須のイベント。そんなとき、ただうなずくだけの自分はいないでしょうか?ここで何か言うと、流れを変えるかもしれない、おとなしくしておこう・・・そんな気持ちは、よくあることで、調和を保つためにも、必要な場合があるでしょう。ここぞ、という使命感がある場合を除いては、同調する。でも、心はモヤモヤ。そんなときは、無理に抑え込まないことです。また、自分をいじめないこと。まあしょうがないな

分かち合うための強さ

大人の世界、大人の事情がある一方で、子供の世界、子供の事情も存在します。家庭内のさまざまな悲しい事情は、双方に大きな影を落とすでしょう。何らかの問題に対して、大人なりに子供の事を考えて結論を出しても、子供はそれを受け入れるため、多くの時間を要するかもしれません。ただ、気持ちの整理がつかない、落ち着かない状況でも、自分のすべきことや、心が求める正義に対して、正直になれる「強さ」を持つ。たとえ子供であっても、そんな強さを持てるのではないでしょうか。そのためには、友が、師がその想い

春待ち小唄

日本には、四季を感じることば、文化、風習がある。都会にいても、それは多少なりとも感じ取ることができる。ただ・・・ビジネスや日々の暮らしにおいては、すべてが高速化、効率化、簡便化されて季節感をゆっくり味わうことが少なくなったように感じるのは、私だけではないと思っている。録画されたテレビ番組を1.5倍速で見る若年層も多いと聞くが、スローな文化も一方で認める寛大さに期待したい。 「春待小唄」 立冬 過ぎし 霜月は 感謝と祈り 幼子の 七五三から 実りの 初穂 八百万の国 惟神(

本当のさよなら

別れの涙。それは、ある程度の時間を経て、訪れることもある。別れた人の姿、生き方、愛情が実感できたとき、それは自然に流れ落ちるのかもしれない。そのとき、人は、本当のさよならをすることができるように思う、過去を思い出として、引き出しに納めることができるのではないか。 「冬の山ひとり」 吐く息白く 冬の山 歩く 峠の道 ひとり むかし二人が 教えてくれた 見晴台へ 石畳  遠くに 白き アルプスが オレンジ色に 染まる 夕暮れ 思い出す旅 冬の山 歩く 峠の道 ひとり 父と母

フェードアウトという終わり方

ビジネスにも、恋愛にも、人間関係という面でみると、終焉は大なり小なり必ず存在する。ある関係性の終わり方には、ケンガ別れ、円満な別れ、音信不通などの自然消滅等々あり、パターンを数えればきりがない。つまり、人の顔や指紋がひとりひとり違うように、十人十色。ただ、終焉に向けた何らかのアクションについては、それを出す側、出される側と、多くの場合ほぼ間違いなく両者が存在すると思っている。もし、終わりを告げられたら、どんな姿勢で臨みますか?言いかえれば、終わりのマネジメント。まあ、これも、

崩れ去ったあとに

何かを失ったとき、人はその大切さに気づくものです。仕事、家族、健康、日常のあたりまえ。何かにせかされるように生き急ぐのはなぜでしょう?人は常に「何か足りない」を繰り返しながら、生きているのでしょうね。 「砂の城」 浜辺で作った モニュメント 波にさらわれ 崩れていった 何も なかったかのように 守りたいもの それは 心の中にある 嘘のプライド それとも密かに 隠しもってる 執着なのか 守ろうと すればするほど 傷ついて 傷つく度に 崩れ去ってゆく  何も なかったかのよ

見つけてみよう

多くの若者が、将来に対して漠然と、いやリアルな不安感を抱いている。だから、恋愛もできないという状況は、多くの若者が直面している悩みのひとつ。持っていない、だからできない、そんな声が聞こえてきます。では、ほんとうに何も持っていないのでしょうか。何かもっているもの、それは自分のカラダ、思考力、なにより生きているいまの自分。コツコツでもいいじゃない。地道でもいいじゃない。カッコ悪くてもいいじゃない。誰かがあなたのことを思っている。それが何よりもの、持っているものかもしれません。

価値感の変化

時代とともに、ビジネスツールは進化してゆく。とともに、その段取りや展開方法も変わる。だが、どうだろう。それを操るビジネスマインドは?いまが変化の過渡期にあるように感じるのは、私だけではないだろう。それに人はついてゆけているのだろうか。過去と同じように、集団のなかで流されるままに、変化を変化と認識しないままに、自分を見失っていないだろうか? これまで崇め祭ったものが、実は大して価値を感じなくなったりする。そんな価値観の変化を感じるのが、今なのかもしれない。 だから、自分がし

すべて、夕陽に溶かして。

四国愛媛の西にある港町、八幡浜。大都会のキャリアウーマンから、Uターンして主婦へ転身。忙しい日常を、笑顔で乗り切る女性は何をモチベーションにして頑張るのか?ダンナ、子供のため?それも当然だろう。しかし、一番大切なものは、ありのままの素直な自分をキープすることかもしれない。嬉しいことも、辛いことも受け入れて。 「すべて、夕陽に溶かして」 パートの帰り 夕陽に染まる 街を抜け 埠頭のマルシェへ ハンドルを切る 献立 掃除 エトセトラ 日々のルーティン 心にアクセル 上げ膳据え

トンネルの向こう側

いま辛い、いま苦しい。ビジネスの中で苦難と向き合っている時間がある。結末は見えない。ただ、その瞬間に味わうことは必然かもしれない。人生の設計図通りに、コトは運ばれているのかも。しかし、プレーヤーにはそのカラクリは分からない。つまり、ただ苦しむ戦士たちなのである。 「To the future」 本当の自分に戻る その日まで 心から笑える その日まで 悔しさを押しこめた笑顔なんて 見たくない 満たされてない 作り笑顔・・・見たくない 街のショーウインドウが 映し出す 張

未完成が完全という考え方

大きくマイナスに振れた針は、やがて同じレベルでプラスへと振れてゆくでしょう。振れ幅が極端になればなるほど、訪れるプラスも大きくなる。そう信じたいのです。人生には、仕事に、恋に、家族にと、さまざまな試練があります。何も信じられない時期もある。この世に救いの神はいるのだろうかと思いたくなる感覚。それでも生きてゆき、どん底から一歩ずつ這い上がることが、「ほんとうの自分」に帰る一歩になるでしょう。「差取り」で「悟り」に向かいはじめる一歩になるのではないでしょうか。未完成である自分だか

ほんとうの愛とは。

ほんとうの愛ってなんだろう?偽善ではない、心の奥から湧き出る愛。それは幼い頃に感じたものかもしれない。記憶にも残らないほどの幼子の記憶のなかで。人は大人になるにつれて、愛に条件をつけたがる。地球という牢獄のなかの掟であるかのように。ピュアな人ほど生きづらいのが、この地球なのかもしれない。それでも、ほんのわずかな一瞬の愛の記憶。そこに光を当てて生きる、自分を照らす光にして生きる。一歩ずつ。そんな考え方もあるかもしれない。 「地球の片隅で」 絶望の暗闇 窓から見える景色さえ

うつし世で、できること。

現世(うつしよ)に生きる私たちは、意図せず、または知らない間に誰かを傷つけたり、逆に傷ついたりすることがあるのではないでしょうか。悪意を持つ場合を除いて。結果、やさしさや、慈悲の愛を持つことに、無意味さを感じることになるのでしょう。目には目を・・・的に生きることが自分を守ることになると。確かに自己防衛は重要で欠かせないことです。ただ、それが度を過ぎないようにしないと、冒頭に書いた、不可抗力で自分が加害者になったことへの反省の念は、生まれてこないでしょう。ただでさえ、日々生ある