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12歳のブー学者(童話)

「ブヒー」
 授業中の教室で大きな音が響いた。クラスメートのみんなは鼻をつまんでブースケの方をいっせいに振り向いた。ひょうきん者のブースケは「グフフ」と含み笑いをして、「まいったか」と言った。教室にはクククという小さな笑いが起きた。
「ブースケ、音だけじゃなくて、ミまで出したんじゃないだろうな」
 ブースケの後ろの席の男子生徒が言った。
「どうだろう・・・・」ブースケはトボけたように言って立ち上がり、「ちょっとズボンのお尻見てみてくれよ。汚れてない?」
 男子生徒がお尻に顔を近づけた瞬間、
「プッ」
 もう一発小さいのを放った。その音にお尻に顔を近づけた生徒はひっくり返った。クラスはドッと爆笑が起き、ブースケはいい気分でニンマリと笑った。先生は呆れたようにブースケを見つめ、「お前なあ・・・・」と言い、苦笑いを浮かべた。
 『ブースケ』というあだ名は、もちろんオナラの音からつけられたものだ。ブースケとオナラ同盟を組むのが『スカへ』。彼はそのあだ名どおり、音のない臭いオナラをする。
 ある冬の寒い日、スカへが事件を起こした。暖房が入っている教室であまりに強烈なスカ屁を喰らわしたのだ。空気を換えたいが外は寒いので窓が開けられない。そのニオイが教室にこもり、クラスは大混乱となった。
 学活の時間、オナラのことで議論になった。
「教室でオナラをするのはどうかと思います」
 副級長の赤縁メガネ女子が言った。もちろんブースケはそれに対し反論した。
「でも、オナラは生理的なものです。我慢すると体によくないです」
「そういう場合は、『すみません』と言って、廊下に出てください」
「オナラは急には止められません」
「いや、少しは我慢できます」
「その日の体調によって胃腸の状態が違うので、我慢できるかどうかわかりません」
「それは甘えだと思います」
 ほとんどの女子は赤縁メガネ副級長の意見に賛同し、「そうだ、そうだ」と言った。
「ブースケ君、スカへ君、これからオナラをするときは廊下で出てしてください」
「チェッ、わかったよ」
 しかし、まだ女子たちはこの返事で納得がいかないらしく、罰則まで提示してきた。
「もしオナラを教室でこいた場合は罰として、放課後に教室の掃除とゴミ出しをするというのはどうでしょうか」
「何だよ、それは。オナラぐらいでそんな厳しいこと言うなよ」
「ブースケ君、乱暴な言葉は使わないでください。今は授業中です」
「オナラのニオイぐらい、ちょっと我慢するだけじゃないですか。『掃除』には納得がいきません」
「いつもわたしたちばかりが我慢させられていては不公平です」
「じゃあ、お前たちも好きにコイたらいいじゃないか」
「サイテー!」
 白熱した議論となった。最終的に多数決となり、『オナラ禁止令』がクラスのルールとして採決された。
「ーーお前のせいだからな」
 ブースケは帰り道、スカへに文句を言った。
「いや、お前がひんぱんにコクからこうなったんだろ」
「お前の臭いが問題なんだよ」
「確かにあんなに臭いのが出るとは思わなかった。ニンニクをたくさん食べたからかな、それとも玉ねぎとじゃがいもが入ったみそ汁が原因かな。で、どうする? お前我慢できるか?」
「どうだろうな・・・・」
 クラスで『オナラ禁止令』が決まってからというもの、クラスメートはオナラの音に敏感になった。小さな音でもみんなピクッと反応する。音だけでなくちょっと変な臭いがすると犯人探しが始まり、最終的にブースケかスカへが犯人になり掃除をさせられた。それでもブースケは掃除をさせられる覚悟で、ときどきオナラネタをしてフザけることがあったが、誰もまったく笑ってくれなくなった。
「オナラの時代は終わったか・・・・」
 ブースケは以前イモをたくさん食べてオナラを仕込んでいたぐらいだが、もうイモをひかえるようになった。
 この日、テストがあった。ブースケは教室の一番うしろの席で、となりにはモエが座っている。モエは、白く透き通るような肌で、大きな瞳、手足がスラリと長いクラスで一番の美少女、男子たちのあこがれの的だ。
 教室はシンと静まり、みんな集中してテストを解いている。そのときだった。
「プッ」
 吹奏楽器のような高く短い音が聴こえた。
「あれ、出ちゃったかな」
 ブースケは手でお腹を押さえて腸の調子を確認したが、ガスが出たような感覚はない。クラスメイトはいっせいにブースケの方へ振り返り、ジロリとにらみつけてきた。
ーーおれじゃないのに・・・・。じゃあ誰だ?
 隣をそっと向くと、モエが恥ずかしそうに顔を伏せていた。
ーーあ、そうか・・・・。
 ブースケは事を察し、思い切り下っ腹に力を入れて気張った。
「プゥ」
 いつもよりは謙虚な音だったがとりあえず音が鳴った。
「はい、もう一発いただきました」
 ブースケは小さく決め台詞をつぶやいたが、クラスメートたちは誰も振り返らず、もちろん誰も笑わなかった。
「フー、やれやれ」
 テストが終了し、ブースケは放課後一人で教室の掃除をした。帰ろうと玄関へ向かうと、下駄箱の前でモエがポツンと立っていた。
「何だろう・・・・」
 ブースケは嫌な予感がした。オナラには大胆だったが、女子と話すのは恥ずかしくて苦手である。
「まさか、おれに何か・・・・。いやいや、関係ないだろう」
 ブースケはモエの姿を見ないようにスーッと彼女の前を通り過ぎた。下駄箱からクツを取り出してはこうとしたとき、モエが近づいてきて声をかけてきた。
「ええと・・・・」話しづらそうにモジモジしている。「今日はゴメンナサイ」
 目に涙をためている。
「えっ、何のこと?」
 ブースケはなるだけモエの顔を見ないようにしトボけた。モエの秘密をにぎっている自分が意地悪なような気がして胸が痛い。できれば今日のことは何もなかったことにしたい。
「何にも知らないんだ!」
 大きな声で言い、急いでクツをはいて飛び出すように駆け出した。
 それからしばらく経ったある日、帰宅途中の曲がり角でモエにバッタリ出くわした。
「ブースケくん」
 モエが声をかけてきた。
「何だよぉ」
 ブースケはモエの目線をさけて言った。
「チョコレート、食べて」
 ピンクのリボンで結ばれたかわいい箱を渡された。
「えっ・・・・」
「じゃあね」
 モエは小さく微笑んで走り去った。彼女の後ろ姿のポニーテールが右に左にユラユラと揺れるのをじっと見つめた。
「ハァー・・・・」
 ブースケは深く息をつき、その場でしばらくチョコレートの箱を持ったままボンヤリ突っ立っていた。
ーーあ、そうか!
 今日は『バレンタインデー』という日だということをハッと思い出した。チョコレートを持っているのが何だか恥ずかしい。
「何だ、こんなもの」
 一瞬放り出そうと思ったが、手にしているチョコレートがズシリと重く、そして温かいものに感じ思いとどまった。チョコレートをそそくさとランドセルの中にしまいこんだ。
「オナラは笑いのタネだと思っていたけど、実は愛を運ぶ風なのかもしれないぞ」
 ブースケ十二歳、彼の中から詩的な言葉が生まれた。
「愛を運ぶ風か・・・・。これを文学っていうのかな、それともブー学っていうのかな」
 フワフワした足取りで家に帰った。
 その日以来、ブースケはオナラを人前ですることが恥ずかしくなり、つつしむようになった。
                 (終)2019年作


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