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発掘エッセイ:ライフワークと今日の二の足

 ついに待望の一冊が出た。
 若林純『寺社の装飾彫刻 宮彫り──壮麗なる超絶技巧を訪ねて』(日貿出版社)。
 神社仏閣の軒下や欄間、壁などに施された装飾彫刻の世界を、網羅的に紹介した初めての本である。


 同じ彫刻でも仏像のほうは大ブームだが、この手の彫刻は、一般にはあまり注目されていない。装飾彫刻には仏像のようにわかりやすいキャラクター性がなく、軒下とか欄間とか高いところにあって見にくいせいもあるだろうか。唯一有名なのが、日光東照宮のケバケバ彫刻群で、左甚五郎の眠り猫なら誰でも知っている。あんなのは日光だけかと思いきや、実は日本中にあるのだった。

 私も、神社仏閣のお社にそういうものがあるな、と昔から知ってはいたけれども、わざわざ見たいとは思ってこなかった。ケバケバで面白いのは日光だけだろうと思い込んでいたし、むしろャンマーの寺院で面白い装飾彫刻を見つけ、ミャンマー装飾彫刻をめぐる旅をやろうかな、なんて考えていたのである。

 しかし、昨年一昨年と、木原尚『越後の名匠 石川雲蝶』(新潟日報事業社)、若林純『妻沼山聖天山 歓喜院聖天堂』(平凡社)が立て続けに出て、日光以外にもすごい彫刻があるのを知り、いったい全国にどんな社寺彫刻が存在しているのか、ざっと概観したいと思うようになった。


 そこに刊行されたのがこの本だ。全国111社の彫刻が網羅されている。あとがきによれば、若林氏は600社以上を撮影して回ったそうで、きっとまだまだあるとは思うが、ひとまずは日本中の社寺彫刻が概観できるようになったと言っていいだろう。

 この本は、すごいよ。
 いや、ほんと。
 副題に、壮麗なる超絶技巧という表現があるが、まさしく超絶。どの寺社の彫刻をとっても質が高いことに驚かされる。選りすぐりの彫刻ばかりを集めてあるからか、仏像より全体の平均レベルが高いとすら思う。寺めぐりをしていると、有名寺院でも、山門の仁王像の質の低さにがっかりすることがよくある。それなのに装飾彫刻のほうは、地元民以外は誰も知らなさそうな田舎のお堂でも、超絶な技が見受けられたりする。

 一般的なモチーフは、龍や獅子、クジャク、象といった霊獣や、七福神、天女のほか、子どもたちの遊ぶ姿、故事のワンシーンなどだが、なかにはカマキリの彫刻があったり、日露戦争の軍人たちが会議を行なっている図、みたいな変り種もあったりして、面白い。ざっと見るとどれも同じようでも、細かく見ていくといろいろな発見があるのだ。

 なかでも私が現物を見てみたいと思ったのは、群馬県邑楽郡板倉町にある雷電神社本殿。頭にタコや鯛をのせた半裸の男たちが、武将に貢ぎものを捧げている。何のエピソードからとっているのか不明だが、その少々マヌケな味わいはシンガポールや香港にあったタイガーバームガーデンを彷彿させる。

 埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社の彫刻にある、ほかでは見たことのない獣も気になる。龍でもなくワニでもなく、魚に手足が生えたウルトラ怪獣のような生き物。大分市柞原八幡宮の、薬缶を沸かしたり、壺の水を捨てたりしている日常風景の図。山梨県北杜市の諏訪神社の、手長足長の彫刻。栃木県佐野市一瓶塚稲荷の真っ赤な波の表現は、相当な迫力がある。

 そして何より『越後の名匠 石川雲蝶』にも載っていた新潟県魚沼市西福寺開山堂の天井を覆い尽くす大彫刻「道元禅師猛虎調伏之図』。こんな大掛かりな天井は、日本でもここだけだろう。そもそも天井が絵画でなく彫刻で埋め尽くされていること自体凄い。

 ああ、自分も日本中の装飾彫刻を見て回りたいなあ、と思わずにいられないのであるが、他人がこうして紹介したものを後追いで巡るのは、なんか悔しいのだった。それより自分で何か見つけたい。こんな世界があったのか、と誰もがワクワクするような、装飾彫刻に匹敵する何かを。

 若林氏は、たまたま雑誌の取材で装飾彫刻に出会いのめりこんだとあとがきに書いている。追いかけるテーマが見つかるのは、ほとんど偶然のようなものだ。
 私自身これまで何かとテーマを見つけて追いかけてきたけれど、ほとんどはもう十年以上前に考えていたことで、最近は新規補充がない。そろそろ自分自身にも新しい何かを見つけたい。

「本の雑誌」2015年1月か2月頃

※ 寺林さんの寺社彫刻写真集はその後たくさん出た。


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