見出し画像

石ころ拾い

今日は、石拾いの楽しみについてお話しようと思います。

石を拾うのが好きな人は、昔から多くいて、どのような石を拾うかで、いくつかのタイプに分かれます。
たとえばそのひとつが、水石。これは床の間などに飾るための見栄えのいい石を、川原で拾うもので、拾った石を台に載せて鑑賞します。石を山や家などの風景に見立てたり、石に表れた模様や、石の形の面白さを楽しむもので、ご存知の通り、多くの愛好家がいます。たいていは川の上流から中流域で拾われる方が多いようです。

それから、山に入って地崩れした場所などを掘って、特殊な鉱物を拾い集める人もいます。拾うのはオパールや水晶、トパーズなどいろいろな鉱物で、こういった鉱物採集には女性ファンも多くいるようです。そのほかに化石や、まれに隕石探しを趣味にしている人がいますが、これも石拾いの一種といってもいいでしょう。

そんなふうに、石を拾うといっても、いろいろなタイプがあるわけですが、私が今回おすすめしたいのは、今言いましたような市場価値のある石、同じ趣味を持つ人が多くいて、趣味のジャンルとして確立されているような石ではありません。言ってみればそのへんの石ころ。何の変哲もない、市場価値のまったくない、お金に換算するとゼロ円の石です。

人によっては、旅行先などで、旅の記念に石を拾って帰ったりすることがあると思います。そういうときに拾う石は、べつに宝石でも、特別な鉱物でもなく、たまたまそこに落ちていたふつうの石ですね。考え方としては、それとまったく同じです。

なので、拾う場所はどこでもいいわけですが、私の場合は、主に海岸で拾っています。川原や山に比べて、角のとれた丸っこい石が多いからです。丸い石でなければならない理由はとくにないんですが、やはり丸っこい石のほうが手に持って気持ちいい。それだけの理由です。

そうやって海岸に出かけて、いい感じの石を拾う。
いい感じの石といっても、落ちているのは全部ただの石ころですから、何度も言いますように、市場価値はありません。いい悪いの基準は、純粋に自分だけのものです。とにかく自分がいいなと思った石を拾う。そこには、自分以外の基準はありません。何がいいなと思うかは、人それぞれです。触り心地がいいとか、色がいい、模様がいいなど、なんでもいいわけです。そうして気に入った石を持ち帰る。ただそれだけ。何のために、と言われれば、自己満足でしかありません。

それでも、どういうわけか、自分で拾った石には愛着が湧いてきます。
なんとなく手に持っていると心が落ち着くとか、ひまなとき眺めてみると、なぜか見入ってしまうとか、そんな石に出会うことがあるんです。

ここで、いくつか私の拾った石、お気に入りの石を紹介したいと思います。
一番よく拾うのは、こういうタイプの石です。


これは北海道の留萌の海岸で拾いました。表面がとてもすべすべで、手に持つととても気持ちがよく、なんとなく心が安らぎます。私はパソコンに向かって仕事をする時間が長いのですが、これを片手で握りながら仕事してることがあります。そうすると仕事が捗る、かどうかとくに調べてませんけども、なんとなく触っている。
同じように、これも北海道の江差に近い海岸で拾いました。

どうということのない石ですが、丸っこさが気持ちいい。色もきれいです。

こうして説明しますと、本当にただの石ころですから、なんだ、くだらない、と思われるかもしれませんし、私もこれ以上主張したいこともとくにないわけですが、せっかくですので、もう少しお話しますと、旅先で海辺に出て石を拾っていると、まあ、なんといいますか、はじめはちょっと時間を無駄にしているような気がしてきます。せっかく忙しい仕事の合間をぬって、旅に出てきたわけですから、本来なら、有名な観光スポットを訪れたり、絶景を見に行ったり、おいしいものを食べたり、その土地ならでは体験をするべきなんじゃないか、と思うわけです。

でも、よくよく考えてみると、自分は本当に、その観光スポットに行きたかったのかどうか。必ずしもガイドブックに載っている場所に行かなければならないという決まりはないわけです。そして実際、旅行者が旅行中に心の底で何を望んでいるかというと、案外、休憩だったりします。せっかくの休みだからのんびりしたいと。
それなのに、もったいないからあちこち回って、ノルマを消化するような旅をしてしまったりする。

だったら、予定のひとつをキャンセルして、石を拾う時間を作ったらどうか。お金も体力もいりません。海を眺めてボーッとしながら、気になる石を探してみる。海辺でのんびり石ころを拾うなど、日常ではほとんど味わうことがありません。

安っぽい時間の過ごし方だと思われるでしょうか。
しかし考えてみてください。小さな石でも、それは大自然の一部であり、人間が作ったすべてのものよりも歴史があるわけです。安っぽいどころか、とても興味深い存在なんじゃないでしょうか。

これは、福岡県の若松北海岸で拾った石です。

ここはいろいろと面白い形の石が落ちている海岸なんですが、これを見つけたときはさすがに私も驚きました。まるで宇宙の姿を見ているようです。太陽のまわりをいくつもの星が回っている光景に見える。ときどきこんな不思議な石にも出会います。いったいどうやってこんな石が出来たんでしょうか。

そして、これは津軽半島で拾った石なんですが、

よく見ていただくと、山水画のような模様が浮き出ています。左側にそそりたつ崖が見えますね。こうした石は風景石と呼ばれて、昔から多くの人を魅了してきました。哲学者のロジェ・カイヨワや、日本でも澁澤龍彦などが、その魅力について書いています。こんな石も、海岸で探せば拾えるわけです。

それから、これは高知県の仁淀川で拾った石です。

平たい石で、川面に投げて石切り遊びをするのにちょうどいい感じです。ただ、よくよく見ると、まるで海の地図のように見えます。太平洋のたとえばジャワ海みたいな、多くの島が浮かぶ海ですね。風景石とはまた違って、地図石とでもいうのでしょうか。結構気に入っています。

さらに津軽半島などで、錦石という美しい石が海岸に落ちていることがあります。錦石は津軽の名産品として、アクセサリーなどに加工されて売っていますが、運がよければ海岸で拾うことができる。これは私が拾ったものなんですが、一見、地味に見えますけれども、これを専用の機械で磨いてみますと、こんなふうに透明になります。

これには私も驚きました。
こんなに美しい石が、ふつうに拾えるわけですね。
錦石になると、なんでもない石ころというわけではなくて市場価値のある石なんですけども、ここまででなくても、赤い石、青い石、黄色い石、緑の石など、カラフルな石は、あるところにはたくさん落ちています。なんでもない石ころにも、ものすごい多様性があることがわかります。

最近は、海岸の多くがコンクリートで護岸されて、自然の海辺が減ってきています。こうした石が落ちている場所も、見つけにくくなってきました。それはとても残念なことですけれども、こうしてときどき海へ行って、なんでもない石ころを拾うことで、わずかですが、私たちは自然と繋がることができるし、自然の奥深さに触れることができる。そして気に入った石を手に持っていると、なんとなくホッとします。小さなことですが、石ころを拾うという行為は、本当はとても豊かなことなんじゃないかと、私は考えています。

2014.8.22「視点論点」NHK



いいなと思ったら応援しよう!