米海兵隊ロケット砲システムの石垣島への搬入
13日、沖縄県の石垣空港に米海兵隊のロケット砲システムが搬入された。今年3月には米海軍のイージス艦が石垣島に寄港し、また石垣島では陸上自衛隊の駐屯地のミサイル基地建設が進んでいる。島民の間では、政府は軍備を強める方向ばかりに動いていないかという不安な思いがある。いつの間にか石垣島は米日の対中国戦略最前線に置かれるようになった。被団協の人々の反核、反戦の想いと同様だが、沖縄には太平洋戦争中の払拭し得ない悲惨な記憶があり、住民感情に配慮なく軍備化が進められている印象だ。
米国はトランプ政権時代に中国との対立を煽ったが、バイデン政権もその方針に大きな変化は見られなかった。中東ではトランプ政権のイラン核合意からの離脱や、米国大使館のエルサレム移転、ゴラン高原にイスラエルの主権を認めたことなど、バイデン政権は、これらのトランプ政権時代の国際法違反や国際的取り決めを反故にしたことを元に戻すことが一切なかった。
22年12月、石垣島の市議会は、「自ら戦争状態を引き起こすような反撃能力をもつ長射程ミサイルを石垣島に配備することを到底容認することができない」という意見書を賛成多数で可決した。花谷史郎市議も「石垣島からミサイルを撃った場合には石垣島が攻撃目標になることは間違いない。ミサイルを撃つ判断には島民が関わることができない。『石垣をまもりたい』というつもりだったはずなのに賛成した住民たちも動揺しているのかなと思いますね。」と語った。(TBS「報道特集」)
政府は石垣島でどのような戦闘を想定しているのだろう。岸田政権時代に閣議決定された「反撃能力」では、敵の脅威が高まったら、日本から攻撃できるということになっている。日本政府の認識では、反撃の判断となる敵の武力攻撃の発生については、「相手が武力攻撃に『着手』した時で、“武力攻撃による実際の被害を待たなければならないものではない”」というものだが、これでは反撃能力と先制攻撃の境界が曖昧だ。
では、「先制攻撃」というと、中東研究の立場からだと1967年の第三次中東戦争を思い出す。エジプトのナセル大統領は、アラブ世界の盟主としてイスラエルとの対決姿勢を鮮明にしていった。ナセルは国民の支持の声の高まりを背景にチラン海峡の封鎖を決定する。チラン海峡を封鎖されれば、イスラエルはインド洋に抜けるのには敵対するエジプトが所有するスエズ運河を通過することができないために、地中海からジブラルタル海峡を通ってアフリカ大陸を迂回して喜望峰を通過しなければならなかった。これはイスラエルにとって死活的と考えられ、イスラエルはエジプトをはじめアラブ諸国が戦争に着手していると判断し、先制攻撃をしかけ圧倒的な勝利をおさめ、シナイ半島、ガザ地区、三大一神教の聖地がある東エルサレムを含むヨルダン川西岸、またゴラン高原を占領した。
「反撃能力」と言えば、このイスラエルの先制攻撃と区別ができない。イスラエルもアラブ諸国の戦争着手を判断して攻撃を開始したが、実際にアラブ諸国が戦争に着手していたかどうかは定かではない。ミサイルの撃ち合いになれば、どちらが先に撃ったかの識別も困難になるだろう。戦争は反撃だけでは終わらないことは言うまでもない。第三次中東戦争のように本格的戦争になるが、政治家たちにはその想像力があるだろうか。
日本政府は沖縄を日本の安全保障上極めて重要と位置付けるが、これが太平洋戦争の時代の記憶と重なるのは沖縄の県民感情だろう。「戦争がまたやってくるんじゃないかって不安を拭い去ることができない、『戦争』も『戦』も大和の言葉の借り物だ」と述べる石垣島民もいる。
ざわわ・・・広いさとうきび畑は
ざわわ・・・風が通りぬけるだけ
昔 海のむこうから いくさがやってきた
夏の日ざしのなかで
沖縄戦をモチーフにしたこの歌は、1964年に沖縄にシャンソンを歌いにいった石井好子さんに伴奏で同行した寺島尚彦さんがその時の体験をもとに1967年に作詩・作曲したものだった。寺島さんは公演の間に沖縄の戦跡を訪れる。そこでさとうきび畑の下に名前もわからない無数の人々が眠っていることを聞いたのが歌をつくる動機となった。「轟然と吹き抜ける風の音だけが耳を圧倒し、その中に戦没者たちの怒号と嗚咽を私は確かに聴いた」と語っている。
衆議院選挙が公示された。閣議決定された反撃能力、防衛費増額など政府は選挙で国民に信を問うべきではないか。現状の倍の国防力負担を国民に強いるという状況なら、その前にどれだけ外交的努力が行われたかを国民に説明しなければならない。
表紙の画像はミサイルより外交、その通りです
https://zenko-peace.com/archives/16934
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