言葉、宗教、民族が違っても求めるものや内面は同じ
イスラーム神秘主義(スーフィズム)詩人のルーミー(1207~73年)は『精神的マスナヴィー』の中で次のような説話を紹介している。
ある人が、4人の男(ペルシア人、アラブ人、トルコ人、ギリシア人)に1ディルハムの金を与えた。ペルシア人はみなにいった。「この金でアングールを買おう」。アラブ人は、それを聞いて「この馬鹿め。俺はアングールではなくて、イナブを買うのだ」といい、トルコ人は「私はイナブは欲しくない。ウズムが欲しい」といい、ギリシア人は、「スタフィリを買おう」という。それぞれ、その金で買いたいものが違い、互いにゆずらなかった。そして、彼ら4人の口論は、互いに殴りあいにまで発展していった。もし、彼らが使うさまざまの言語を解する賢者がいたならば、直ちに彼らの間の争いを鎮め、1ディルハムで4人全員に、それぞれの望むものを与え、満足させたことであろう。なぜならば、彼らはペルシア語、アラビア語、トルコ語、ギリシア語で、それぞれブドウが欲しいといったからである。
(竹下政孝『イスラームを知る四つの扉』ぷねうま舎、2013年)より)
言語は違ってもそれぞれの内面や求めるものは同じということのたとえだが、国際社会に生きる人々が共通に求めるのは平和があり、食べることが満たされるなど生活が安定することだろう。それが実現できなければ、いつまで経っても人々の不満を吸収する民族、宗教などを核とするナショナリズムによる紛争や暴力は続き、大量の難民が発生するという悲劇が繰り返されることになる。特にテロを根絶すると言って、爆弾を落とす側の為政者たちは世界の人々に共通する内面を意識してほしいものだ。
アフガニスタンで支援事業を行った中村哲医師は現地のイスラーム教徒から『あなたはクリスチャンなのになぜイスラームのために力を尽くすのか』と問いかけられた時に「あの雪を冠った山の頂を見ろ。目指す聖なる場所は一緒だ。それぞれ登り口が違うだけだ」と答えたというのもルーミーの訴えと一致している。(堂園晴彦「『最後は日本で死にたい』…アフガニスタンで襲撃された故・中村医師が漏らした本音」(『現代ビジネス』)
ドイツの文豪ゲーテは、ペルシアの詩人ハーフェズ(ペルシャ最高の叙情詩人と言われる。1390年没)に感銘を受けて彼自身の「ディーヴァン(ペルシャ語で「詩集」)である『西東詩集(ディーヴァン)』を1814年から19年にかけて書いた。ゲーテはハーフェズを精神において「双子の兄弟」とも形容した。
ゲーテもイスラームに敬意をもち、彼は23歳で初めてコーランに接し、アラビア語の読み書きも習得した。彼は、キリスト以外の偉大な宗教の開祖としてムハンマドを意識するようになり、『マホメットの歌』(1772~73年)では人類の精神的指導者となるムハンマドと称えている。
異教のオリエント世界を理解しようとしたゲーテの姿勢や精神は、世界的な名指揮者で、イスラエル国籍のダニエル・バレンボイムとパレスチナ系アメリカ人のエドワード・サイードに引き継がれ、二人は「西東詩集管弦楽団(英語でウェスト=イースタン・ディーヴァン〔詩集〕・オーケストラ)」を1999年に設立し、エジプト、シリア、レバノン、イスラエルなどから才能ある若い音楽家を参加させた。29日の日経新聞に秋島百合子氏による「イスラエルとアラブが共に学ぶ バレンボイムが探す希望」という記事が掲載された。バレンボイムはドイツ・ベルリンで「西東詩集管弦楽団」を発展させて、「バレンボイム・サイード・アカデミー」を運営している。バレンボイムはイスラエルのパレスチナへの占領政策を「倫理的にも嫌悪すべきで、戦略的にも誤っている」と批判し続けているが、イスラエル人もパレスチナ人も平和で、十分な食べ物を口にできるなど安定した生活を求めていることには相違がない。
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