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ハンナ・アーレントが「ユダヤ人ファシスト」と呼んだ思想の継承者―イスラエル・ネタニヤフ首相

 イスラエルのネタニヤフ首相が7日、ハマスとの戦闘終結後にイスラエルがガザの安全保障に無期限に責任をもつと述べた。ネタニヤフ首相にはパレスチナ人の民族自決権を認める姿勢がまるでなく、パレスチナ全域をイスラエルが支配することを考えている。彼が党首を務めるリクードのイデオロギーである修正シオニズムは領土の絶対性を説くが、ガザ再支配を目指すネタニヤフ首相は修正シオニズムのイデオロギーの実現を考えているかのようで、イスラエル支配の下でパレスチナ人たちは市民権も与えられず、法的な保護も受けられないだろう。ネタニヤフ首相はパレスチナ人に対するひどく差別的な体制をつくることを考えている。

凡庸な悪が生まれる


 ドイツ出身のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント(1906~1975年)は、「悪の凡庸さ」という言葉を使って平凡な人間が行う悪こそ世界最大の悪だと説いた。考えることを放棄することによって、誰もがユダヤ人虐殺に加担したアドルフ・アイヒマンのような人間になってしまうと彼女は考えた。アイヒマンは思考することができない官僚であり、ユダヤ人絶滅という機械の歯車の一つにすぎなかった。彼女は、当時のイスラエル首相のデヴィッド・ベングリオンがアイヒマン裁判を、シオニズムを宣伝する手段として利用していると考えた。

 アーレントは1933年にナチス政権の反ユダヤ主義政策を調査したことで逮捕され、8日間拘束されたが、ナチス政権下で身の危険を感じた彼女はドイツを離れ、パリを生活拠点とする。そこでシオニストのグループと接触をもった。シオニストの組織に参加することはなかったものの、パレスチナへの移住とユダヤ人国家を建設することがナチスのユダヤ人攻撃への必然的な対応とも考えていた。


 1941年にアメリカに移住し、シオニズムに共感を寄せる論文を書いたこともあったが、しかし「修正シオニズム」の指導者ウラジミール・ジャボチンスキーをアメリカで支持するピーター・バーグソンが軍事組織「国をもたないユダヤ人、パレスチナ・ユダヤ人委員会」を立ち上げ、アメリカの下院議員などにロビー活動を行うようになると、軍事力に訴えるバーグソンなどを「ユダヤ人ファシスト」と呼ぶようになった。「修正シオニズム」は現在のイスラエルや、さらにヨルダン川西岸・東岸まで含めてユダヤ人国家を創設しようとする領土の絶対性を説くもので、ネタニヤフ首相が継承するイデオロギーだ。

 アーレントはアラブ人との合意なしにパレスチナのユダヤ人国家は生存できないと考え、シオニスト政党への批判を強めていった。パレスチナへの植民を進めるハイム・ワイツマン(初代イスラエル大統領となった人物)はイギリス帝国主義の下僕であり、ユダヤ人の領域から異民族を徹底的に排除することを考える修正主義者たちは「ファシスト」であるとアーレントは見なすようになった。

 第二次世界大戦以前、アメリカではシオニズムがユダヤ人の間で主流のイデオロギーになることはなかった。シオニズムはアメリカとは異なる国家への「忠誠」をユダヤ人の間に求めることになるからだ。アーレントも第二次世界大戦が終結すると、シオニストの指導者たちは植民地主義を追求し、またシオニズムを「血(兵士)」と「土(領土)」によるナショナリズムと考えるようになった。

 1948年にイスラエルのへルート党(修正シオニズムに基づく政党)の党首メナヘム・ベギンが党の活動資金調達のために訪米すると、アーレントは物理学者のアインシュタインなどと共に「ニューヨーク・タイムズ」に意見広告を出し、「今日、へルートは自由、民主主義、反帝国主義を説くが、つい最近まではファシスト国家のイデオロギーを公然と喧伝していた。その手段はテロリズムと虚偽の宣伝であり、イスラエルが覇権国家になることがその目的である」と訴えた。

 アーレントが「ファシスト」と呼んだ「修正主義者」たちは現在、占領地でパレスチナ人の住宅を襲撃し、イスラエル国内のパレスチナ人にテロを行い、パレスチナ人とイスラエルの緊張の種を蒔き続ける。まさにアーレントが予見し、危惧したような事態がガザでの無差別攻撃となって表れている。
 ネタニヤフ首相がパレスチナ人に対して厳しい姿勢をとるもう一つの背景に、彼の兄であるヨナタン・ ネタニヤフがPFLP(パレスチナ人民解放戦線)のハイジャック作戦の中で殺害されたことがある。PFLPのワディ・ハッダード(クリスチャンの医師)に指導されたグループは旅客機のハイジャック戦術を行っていたが、1976年6月にパリ行きのエールフランス139便がイスラエル・テルアビブを離陸後、PFLPのメンバーと西ドイツの左翼組織に乗っ取られ、アフリカ東部のウガンダの「エンテベ空港」に強制着陸させられた。イスラエルは奇襲部隊をウガンダに派遣し、ウガンダのアミン大統領の専用車と見せかけたベンツで乗客ターミナルに突入し、PFLPのメンバー6人を射殺した。イスラエルの奇襲部隊を指揮していたヨナタン・ネタニヤフ中佐が、ウガンダ兵に撃たれてイスラエル軍将兵の中で唯一死亡したが、彼の実弟が、現在イスラエル首相を務めるベンヤミン・ネタニヤフだ。


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