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戦後日本の闇 ―下山事件が教えるもの

 30日晩「NHKスペシャル 未解決事件 File.10 下山事件 第1部・第2部」を観た。1949年国鉄の下山総裁がれき死体で発見された事件の真相に迫ろうとするものだった。

 松本清張の『日本の黒い霧』(文春文庫)ではアメリカGHQが求めた国鉄の人員整理に下山総裁が抵抗し、それで彼がGHQの謀略の犠牲者になったという推理だったが、昨日のドラマとドキュメンタリーでは事件が冷戦の国際環境の文脈の中で起きたことが特に強調されていた。

下山事件の現場を訪れた松本清張 https://bunshun.jp/articles/photo/2500?pn=1#goog_rewarded


 下山総裁がソ連大使館で殺害されたと言い出したのは李中煥(りちゅうかん)というソ連の韓国人スパイだった男だ。しかし、ドキュメンタリーの中で、李中煥はアメリカの二重スパイで、アメリカに利益をもたらすための活動を行っていたことが明らかにされる。彼はアメリカから下山総裁の実際の殺害方法を聞いて知っていて、ソ連大使館の関与を印象づけるための証言を行った。(番組による)

李中煥が二重スパイだったことは明らかなようだ https://twitter.com/grapefish385


 第二次世界大戦が終わると、ともに連合国で、ドイツと日本と戦ったアメリカとソ連の対立、つまり冷戦構造が次第に明白となり、アメリカは戦後ソ連によってシベリアなどに抑留され、ソ連のスパイとなることを誓約させられて日本に帰国した元抑留者たちをアメリカのスパイとして利用するようになった。

 下山事件に次いで、三鷹事件、松川事件など不可解な鉄道事件が発生していったが、その背後で暗躍していたとされるジャック・キャノン中佐はこれらに関与していないと生前のインタビューの中で供述していた。キャノンは下山事件について尋ねられると、「記憶にない」と答え、また松川事件についても「それはどんな事件だった?」と尋ね返すほどだった。戦後間もない時期に日本で暮らしていて、日本社会を震撼させたこれらの事件を覚えていない、知らないというのは信用できない。一連の鉄道事件は、「左翼対策として巧妙な方法だと思わないか」とインタビュアーに言われると、「共産党対策は日本の戦前のやり方が一番で、容赦なく弾圧することだ」と不誠実そうな表情で答えていた。

映画「松川事件」より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29


 アメリカ公文書館の文書によれば、李中煥はアメリカのCIC(対敵諜報部隊)で幅広い諜報活動を行う二重スパイだった。下山事件が起きる2週間前にも李中煥はキャノンと、その部下であるビクター・マツイと接触していた。1950年4月に李中煥は韓国釜山に強制送還になるのだが、仲代達矢主演の『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(1981年)では韓国への送還中、ヘリコプターから落とされて殺害されたことになっている。

映画「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」(1981年) https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/04114/

 アメリカの反共工作を取材し、下山事件を追い続けた読売新聞記者・鑓水徹(やりみず・てつ)は「李というのは、アメ公とソ連のダブル(二重スパイ)さ。その李に、アメ公が、下山謀殺の半分くらいの本当を教えて自首させたのさ。李はアメ公が仕立てた下山事件をソ連になすりつけるための“ピエロ”さ」と語っていた。

 戦後最大のフィクサーとされる児玉誉士夫と交流し、彼から情報をとっていた鑓水徹は「あれ(下山事件)は米軍の力による殺害だ」と断言していたと鑓水の息子の洋(ひろし)は語る。

 下山事件の黒幕はアメリカで、朝鮮戦争のために国鉄を利用したかったが、下山総裁は抵抗する姿勢を見せたために殺害されたと児玉は話していたという。下山総裁の死後10万人の人員整理は大きな抵抗もなく行われ、朝鮮戦争では国鉄は軍事物資や兵士の輸送に協力し、開戦後2週間で1万2000両の客車と貨物車が米軍に利用され、国鉄の軍事使用史上最高を記録した。1951年4月に吉田首相とダレス対日講和問題特使の会談が行われたが、この席で下山事件は韓国人によって行われたと断定されたという。一人の韓国人が引き起こした事件として日米の間で幕引きが図られた。

映画「日本列島」(1965) https://fpd.hatenablog.com/entry/2018/01/07/203000


 冷戦下でアメリカは様々な謀略や工作を世界の様々な国で図った。イランでは1951年にモハンマド・モサッデグ首相の政権をCIAが崩壊させ、また1973年にはチリのアジェンデ政権をやはりCIAがチリの軍部と協力して打倒した。アメリカの介入政策は21世紀に入ってもアフガニスタンやイラクで行われた。

 アメリカの介入や圧力によって日本人の利益が損なわれるようなことがあってはならない。特にアメリカが戦争をしたり、特定の国と対立したりした時、日本人には特別な注意や配慮が必要なように思われる。日本の戦後の安全保障政策を大きく変える防衛費倍増、反撃能力にアメリカの関与はなかったか?

アマゾンより

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