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貧しくたって人にやさしくする ―高倉健とイラン映画

ノンフィクション作家の野地秩嘉氏の「なぜ高倉健は『イラン映画』を愛したのか」という記事がある。(PRESIDENT Online、2015年1月25日)野地氏は高倉健とイラン映画の縁を彼が出演した「ゴルゴ13」にさかのぼりながら、映画「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)が終わった頃、高倉健にインタビューしたところ、1時間半のうち1時間ぐらいはイラン映画について語ったことを紹介している。

 高倉健が評価していたのは、マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』(1997年)だった。高倉はいかにこの映画に感動するかについて熱く語ったという。ご覧になられた方もあると思うが、妹の靴の修理を頼まれた少年が買い物の途中にある店の店頭にその靴を置くと、盲目のゴミ集めの老人に誤ってもっていかれてしまう。兄と妹は、靴を必死に探しながらも、兄の靴を交互に履いて登校する。

Yahoo映画より


 ある日、マラソン大会の三等の商品が運動靴と知り、兄はマラソン大会に出場することを決意する。ところが兄は商品がキャンプ旅行の一等賞となり、しょんぼりして家に帰る。運動靴を期待していた妹もがっかりして二人で金魚に餌をやっていると・・・というストーリー展開なのだが、野地氏によれば、高倉健が好きなのは「愛する人のために立ち上がる」映画なのだという。「運動靴と赤い金魚」の少年はまさにそれを演じきってきっていた。高倉健はインタビューの仲で「日本人は『運動靴と赤い金魚』のような映画を見なきゃいけないね」と語ったという。https://president.jp/articles/-/14230

 高倉健が主演し、中村哲医師の祖父である玉井金五郎がモデルの「日本侠客伝 花と龍」(1969年)も「貧しくたって人にやさしくする」人物を描いた映画だった。壺振り師・お京の博打で勝った金五郎はその金で貧しい石炭仲仕の仲間たちに肉などの食べ物を買ってふるまい、喜ばれる。戸畑で永田組の助役だった玉井金五郎は自分の組「玉井組」をもつようになったが、若松の伊崎組の悪辣なやり方に我慢できなくなり、伊崎に決闘を申し込むというストーリーだったが、実際の玉井金五郎は、決闘をするような人物ではなく、沖仲仕(港湾で荷揚げや荷下ろしをする労働者)の生活向上のために奮闘するような人だった。まさに人にやさしい生き方をした人だった。

主人公は中村哲医師の祖父・玉井金五郎がモデル


 先日、中村哲医師とともにアフガニスタンでワーカーとして活動していた杉山大二朗さんによれば、中村医師が最も好きな映画はイタリア映画の「自転車泥棒」(ビットリオ・デ・シーカ監督、1948年)だったそうだ。この映画の家庭的な背景もイラン映画の「運動靴と赤い金魚」に重なるようで、第二次世界大戦直後のイタリア社会の貧しさを知るような思いになる。主人公のアントニオはポスター貼りの仕事を職業安定所の紹介によって与えられるが、その仕事に必要な自転車を質屋から請け出すために、妻のシーツなどを質屋に入れる。しかし、ようやくの思いで手にした自転車をポスター貼りの仕事に精を出す合い間に盗まれてしまう・・・。子どもの目の前で自らの貧しさをさらけ出さざるを得ない父親の姿が切ない映画だ。

映画「自転車泥棒」 https://music-book.jp/video/title/099230


 高倉健は『旅の途中で』(新潮社、2005年)というエッセーの中で「運動靴と赤い金魚」を観た感想を次のように書いている。
「本当に。童話のような映画なんです。
 この監督が世に問いかけていることこそ、
 これが文化だな、と僕は思ったんです。
 経済的に貧しいから、ひたむきに、
 一生懸命に生きている親の背中を、
 子どもは絶えず見ている。・・・
 ああ、この優しさが、経済優先で、
 戦後五十五年間、一生懸命走ってきた
 我が国が失ってきたものなのかなと、
 僕はとっても強く思いました。」

 今年も東京イラン映画祭が8月10日(木)から13日(日)まで開かれる。スケジュールは下の画像の通りだが、「運動靴と赤い金魚」のような心を揺さぶられるような名作があることを期待したい。



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