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今に生きる文学・映画の反戦メッセージ

「それでもな、この写真は見えるんじゃ。な、ほら、まん中のこれが先生じゃろ、その前にうらと竹一と仁太が並んどる。先生の右のこれがマアちゃんで、こっちが富士子じゃ。マッちゃんが左の小指を一本にぎり残して、手をくんどる」

 これは、瀬戸内海べりの寒村を舞台に大石先生と12人の生徒たちのふれあいを描いた壺井栄の『二十四の瞳』の最後の部分、戦争で失明した教え子の磯吉が何度も見た写真だから誰がどこにいるかわかっていると確信をもって人差し指で写真を押しながら説明するところだ。でも、少しずつずれていたが、大石先生は「そう、そう、そうだわ、そうだ」と言ってうなづく。先生の頬には涙の筋が走っていた。『二十四の瞳』は昭和の初期に貧困と戦争に翻弄される子供たちの姿を描いた。大石先生は出征する教え子に「名誉の戦死などしなさんな」と言葉をかける。

映画「二十四の瞳」 https://www.videomarket.jp/title/119527


 壺井栄は「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年」という言葉を好んで書いた。柚子に決して敬意がなかったわけでなく、柚子を育てるには18年かかる。しかも柚子は9年で花を咲かせ、それから9年経ってようやく実を結ぶ。その言葉には果実も人間もせっかちに育ててはいけないという意味が込められ、子供たちをしっかり見守り、じっくり育てなければという教育観が表れていた。そうやって育ていった子供たちが戦争で亡くなったり、傷ついたりすることに壺井栄は心を痛めていたに違いない。

 ドイツ人作家レマルクの『西部戦線異状なし』は、『二十四の瞳』とは違って老教師のカントレックが愛国心を生徒たちに吹き込み生徒たちを戦場に送り込む。戦場に赴いた主人公パウルら学徒志願兵たちは、ある者は脚を撃ち抜かれ、またある者は砲音によって心のバランスを失っていく。蝶を捕らえようとしたパウルも戦死する中で「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」という報告が伝えられる。『西部戦線異状なし』は戦争の無意味さ、空しさが説かれる反戦文学の傑作で、1930年にアメリカで映画化された。

アマゾンより


 マイケル・チミノ監督の映画「ディア・ハンター」で、鉄鋼の街ピッツバーグから友人である三人の若者たちがベトナム戦争に出征する際に、主人公がバーで会ったベトナム帰還兵に「ベトナムはどうですか」と尋ねたら「くそくらえ!Fuck it!」というシーンがあった。ベトナムの戦場での地獄を見た主人公が戦争から帰還すると、友人が「まさかの時のために」といって銃を見せびらかすと、その銃をとって友人の頭に突きつけ、「度胸もないくせに」と言うシーンがあった。アメリカのベトナム戦争では戦争を唱道した議会の議員たちの子弟が大学院などに進学して徴兵を逃れることが問題された。

こちらも島の先生でした 「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」 アマゾンより


 ウクライナに侵攻するロシア軍の兵士たちも戦争の空しさ、無意味さを強く感じていることだろう。戦場に若者を送る政治家たちは実に気楽なものだと思う。

アイキャッチ画像は映画「二十四の瞳」
https://www.cinemaclassics.jp/kinoshita/kinoshita_100th/content/filmdetail/23.html?fbclid=IwAR0quZ_DmqmtGDenMHnX1JrwCRcS5LmXsqyzptvnL3450PUKfyxWghPERmM

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