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モロッコ大地震とマラケシュ文化、また震災支援で結ばれる国々

 モロッコのアトラス山脈の山岳地帯を震源とする大地震では2000人以上が犠牲になり、世界遺産であるマラケシュの街でもモスクやミナレットに倒壊などの被害が出た。まだ全容が把握できておらず、犠牲者、負傷者の数は増える可能性があるという。

マラケシュ バーヒーヤ宮殿(バヒア宮殿) https://en.wikipedia.org/wiki/Bahia_Palace


 今回の震災で大きな被害を受けたマラケシュを首都としたのは、11世紀から13世紀にかけてイスラム化したベルベル人の王朝であるムラービト朝(1056~1147年)だった。ムラービト朝は現在のモロッコなど北アフリカ地域とアンダルス(イスラーム・スペイン)を支配した。ムラービト朝は1071年に首都のマラケシュを建設し、またマラケシュは続くムワッヒド朝(1130~1269年)の首都ともなった。さらに16世紀にサアド朝(1549~1659年)もここに首都を置き、サアド朝の第7代スルタン・アフマド・マンスール・ザハビー治世時代(1578~1603年)には壮麗な宮殿が建設されるなど繁栄を極めた。

1992年8月 マラケシュ・フナ広場(ジャマーア・アル・フナー広場) 入れ歯を売る人


 ムラービト朝の下、マラケシュが建設されると、ユダヤ人たちはマラケシュから40キロキロメートル離れたところに、メッラという居住区をつくり、人頭税を払う限りはズィンミーとして保護される身分となり、迫害の対象とならなかった。 ムワッヒド朝の下では1232年にマラケシュでユダヤ人の大規模なコミュニティーが設立されて、シナゴーグも開かれた。さらにイベリア半島でレコンキスタが進むと、モロッコのユダヤ人社会はいっそう膨らみ、発展することになった。

1992年8月 マラケシュ・フナ広場(ジャマーア・アル・フナー広場)猿回しの青年


 ちなみに有名なスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿を建築したナスル朝の建築様式はムワッヒド朝のそれを踏襲したもので、スペインとマラケシュの建築様式が似ていることに容易に気づく。

 モロッコのゼリージュと呼ばれるモザイクタイルは美しい色彩のインテリア空間をつくり出す。モロッコにある世界文化遺産は9つだが、マラケシュを含めてその多くが歴史的・伝統的都市や街全体に認められたものであり、モロッコに興った文明が世界でもめずらしい独特の形態で発展してきたことをうかがわせている。

 ジャマーア・アル・フナー広場で https://www.dunesdeserts.com/en/top-7-things-to-do-in-jemaa-el-fna/?fbclid=IwAR3R-JZyMdRhc_cZVi9HSwZEQd_eOt43vIV7WgNF51vXa5zjV4PM9o7kFjI


 モロッコはヨーロッパ、サハラ以南のアフリカ、また中東の交叉路ともいえるところに位置し、様々な文化、民族集団が移住し、その影響を残してきた。ベルベル人(「アマジグ」と自称、文字通りベルベル語を話す人々)が先住民だが、8世紀初以降、イスラーム化とアラブ化が進んだ。スペインのキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復)運動によって放逐されたムスリムとユダヤ人たちがモロッコに到来すると、アンダルス(ムスリムのイベリア半島の呼称)の文化をもち込み、モロッコ文化の逆輸入が行われた。

 モロッコの音楽はアラブ、ベルベル、アフリカ、スペインの伝統が入り混じり、ネイ(笛)、カルカバ(カスタネット)、タリジャ(打楽器)、ゲンブリ(弦楽器)などの楽器が用いられ、ジョジーカというイスラーム神秘主義が神聖視した音楽が残り、世界的な評価を得ている。

 在モロッコの花谷大使によれば、モロッコは観光資源が豊富な国で、コロナ禍以前には日本人の観光客も増加していた。

がんばれ日本! - モロッコからのメッセージ 東日本大震災の被災者に向けて、モロッコ国内のいろいろな立場の方々から、数多くのお見舞いのメッセージが大使館に寄せられた。 https://www.ma.emb-japan.go.jp/japonais/shinsai/ryoji_shinsai_ganbare.html


 マラケシュに関連する日本の歌謡曲では松田聖子のそのものずばりの「マラケシュ」がある。何となく中東イスラーム的雰囲気を出す曲だ。日本人を含めて外国人観光客に人気があるのは、ジャマーア・アル・フナー広場で、広場には多くの物売りや大道芸人が集まって、大変なにぎわいを見せている。大道芸人にはアクロバット体操、蛇使い、猿回しなどがいて、日本人などを見るとしきりに写真を撮れと言ってくる。写真を撮ったり、大道芸を観たりすれば、お金を払うことになるのだが、日本人は現地の人間よりも多く払わされる。日本人にはお金があるから当然だというのが彼らの考えだが、早くあの広場の喧騒が戻ってきてほしいものだ。

マラケシュ フナ広場(ジャマーア・アル・フナー広場) https://www.lesjardinsdelamedina.com/blog/en/2021/04/07/jemaa-el-fna-the-famous-square-of-marrakech/?fbclid=IwAR0NboVkRQtfxc9GcQ4Id2VP_cSYRHOZlks0526XeoPszQZi1JIxyF9VTDw


 2011年の東日本大震災の時、国王モハメド6世をはじめモロッコの多くの人々から犠牲者に対する哀悼の意が表明された。モロッコ地震には戦争中のウクライナ、ロシアなどをはじめ多くの国々が弔意や支援を表明している。下のページには東日本大震災の際に支援を寄せてくれた国のリストがあるが、日本政府が警戒する中国やロシアの支援がいかに手厚かったかがわかる。


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