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ハマス最高指導者ハニヤ氏暗殺はイスラエルの安全保障に役立たない

 ハマスのイスマイル・ハニヤ(イスマーイール・ハニーヤ、1962年生まれ)最高指導者がイランのテヘランでイスラエルによって殺害された。イランの主権を無視した殺害で、イスラエルには国際的非難が集まるだろうし、イスラエルはまたハマスの報復を覚悟しなければならない。イスラエルは、イラン国内ではイランの核物理学者4人を殺害したと見られている。

南部の港町シドン近郊のパレスチナ難民キャンプでハニヤ氏 https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_21955/

 昨年10月7日のイスラエルのガザ攻撃が始まって以来、ハニヤ氏の家族・親族は60人以上が殺害されたが、その中には彼の妹、3人の息子、また3人の孫が含まれる。

 オリンピック開催中のイスラエルの攻撃は、オリンピック憲章に反するものだが、イスラエルを支援してきた国のドイツ出身のバッハ委員長には、ウクライナを侵攻するロシっを出場禁止にし、イスラエルの参加には何の制限も加えなかった。オリンピックが始まってからイスラエルは昨日もレバノンの首都ベイルートを空爆するなど、その軍事行動をいっそう強めるようになり、IOCの二重基準はますます明らかになっている。

 ハニヤ氏の暗殺は暴力の負の連鎖をもたらすものだ。2000年9月、イスラエルの右派政党リクードのアリエル・シャロン党首がエルサレムのイスラムの聖地ハラム・アッシャリーフに足を踏み入れたことを契機に、パレスチナで第二次インティファーダ(蜂起)始まると、その年の11月にパレスチナ人指導者に対する「暗殺作戦」に着手し、ハマスの精神的指導者アフマド・ヤースィン(2004年3月)、その後継の指導者アブドゥル・アズィーズ・ランティスィ(2004年4月)を立て続けに殺害した。これがハマスのイスラエルに対する払拭しえない不信になったことは間違いなく、ハマスとイスラエルの暴力の応酬は2014年夏のイスラエルのガザ攻撃や、昨年10月7日のようなハマスの奇襲攻撃となり、イスラエル市民の犠牲をもたらすなど結局イスラエルの安全保障に役立っていない。

 現在はパリ・オリンピックが進行中だが、1972年のミュンヘン・オリンピックでパレスチナの武装組織である「黒い九月」はイスラエルの選手、コーチ11人を殺害した。イスラエルは報復として「神の怒り作戦」を実行に移し、フランス、イタリアなどでPLOの指導者たちを次々に殺害していった。イスラエルの情報機関モサドは、ノルウェーのリレハンメルのレストランで働いていたモロッコ人のウエーターのアフメド・ブーチキを「黒い九月」の指導者の一人であるアリー・ハッサン・サラメと間違えて、1973年7月21日、映画館から出てきたところを妊娠している妻の前で射殺した。モサドの要員がノルウェーを離れる時に6人が逮捕され、禁固刑を受けた。

映画「ミュンヘン」

 アリー・ハッサン・サラメは結局79年1月に自動車に仕掛けられた爆弾によってレバノンのベイルートで殺害されたが、彼のほかに8人が巻き添えになった。パレスチナ人たちは「神の怒り作戦」で殺されたパレスチナ人たちの多くは「黒い九月」とは関係がないと述べている。昨年10月のハマスの攻撃とは関係のない多数の市民を殺害していることを彷彿させるものだ。

 モサドはパレスチナ人指導者たちに対する暗殺作戦を「神の怒り作戦」後も継続した。1988年にはチュニジアでPLOの軍事部門の指導者であるアブー・ジハードを殺害した。また、1995年には「イスラム聖戦」の指導者であるファトヒー・シャカーキーをマルタ島で暗殺した。

 1996年には「エンジニア」と呼ばれたハマスの爆弾製造者であるヤフヤー・アイヤーシュはガザで携帯電話を使用としたところ、携帯電話が爆発して亡くなった。携帯電話への仕掛け爆弾はモサドがつくったものと信じられている。

 2005年に制作された映画「ミュンヘン」は1972年のミュンヘン・オリンピック後の「神の怒り作戦」を描いている。この映画ではパレスチナ人の心情も描いているために、この映画を監督したユダヤ系のスティーヴン・スピルバーグはイスラエル右翼から「反イスラエル」と批判を受けた。映画「ミュンヘン」でスピルバーグ監督は暴力の連鎖がいかに意味のないものであるということを描きかたったと述べているが、イスラエルはまたも意味のない暗殺を行ったという印象だ。


重信房子さんと写っているガッサーン・カナファーニーもイスラエルが暗殺 https://www.arabnews.com/node/2094236/world

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