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議員バッジを外さない裏金議員たちが総裁選でうごめく? 党の中味を変えることを訴えた自民党議員

 裏金問題がもう忘れられたかのように、毎日テレビなどでは自民党総裁選の話題でもちきりで、多くの派閥が解散したせいか、総裁選に名乗りを上げた議員がいつにもまして多い。

 若い総裁候補として話題になっている小林鷹之議員の出馬表明の場に同席した24人の議員の中には、裏金で問題になった安倍派の議員が11人、二階派が4人を占めた。安倍派や二階派の議員たちはもう禊が終わったかのようなふるまいだ。日本人は過去のことを忘れやすく、責任の取らせ(取り)方や、また反省の仕方もなまぬるい。

「自民党は生まれ変わる」と言っても安倍派や二階派の議員の推しでは・・・ https://news.yahoo.co.jp/articles/dbf540d1c8fccc1ac01e2898b9e6051919352377


 中曾根康弘政権で官房長官を務めた後藤田正晴は、「自民党本流」の岸信介について次のように語っている。

「僕は個人的には、戦犯容疑で囚われておった人が日本の内閣の首班になるというのは一体どうしたことかという率直な疑問を持ちました。文字通り統制経済の総本山の方ですよね。そして中央集権主義的な行政のあり方、政治の主張、これを色濃く持っていているかたですよね。(略)これは、戦争に対する反省がないからです。それが、いまにいたるまでいろいろな面で尾を引いている。(講談社刊『情と理 カミソリ後藤田回顧録』より)」

 そしてその孫である安倍晋三元首相は米国との集団的自衛権を含む平和安保法制を推進した。彼は米国が第二次世界大戦後どんな戦争をしてきたかを忘れたか、知らないかのようだった。米国はベトナムでも、イラクでも大義なき戦争を行い、結局敗北する形で撤退していった。かりに日本人がベトナム戦争やイラク戦争で米軍に協力して死亡したとしてもその死にどれほどの意義があるのだろうかという想いしかない。

 岸信介の弟で首相になった佐藤栄作氏も1954年に造船疑獄で、逮捕許諾の請求が行われたが、犬養健(たける)法相が指揮権を発動し、これを拒否した。構造汚職の追及が権力によって阻止されたが、それでも佐藤栄作は兄と同様に首相となった。

 伊東正義氏は、1989年にリクルート事件のスキャンダルで竹下登首相が辞任すると、自民党総裁に推され、首相になる可能性もあったが、リクルート事件に関与した党幹部全員の引責辞任を求め、竹下首相、中曽根前首相、安倍晋太郎幹事長らに役職だけでなく、「一度議員バッジを外し、けじめをつけるべき」「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」と自民党の「体質改善」を促し、総裁就任を固辞した。いままた自民党の裏金問題で名前が出た議員たちは議員バッジを外してけじめをつけるどころか、あからさまに総裁選の運動を行うようになっている。

伊東正義氏の言葉 https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/06b98846104dfe76686c3214a9acadf5



 伊東氏の政治姿勢は「ならぬことはならぬ」という会津の気骨の精神を貫いたかのようだったが、日本パレスチナ議員友好連盟会長を務めた伊東氏はパレスチナ問題でも筋を通した。

 1980年9月23日、第35回国連総会一般討論において伊東正義外相は、「我が国は,公正かつ永続的な中東和平の実現のためには,イスラエルが67年戦争の全占領地から撤退し、かつ国連憲章に基づき、パレスチナ人の民族自決権を含む正当な諸権利が承認され、尊重されなければならないと考えております。(中略)我が国は,最近のパレスチナ自治交渉の停滞と西岸情勢の悪化を極めて憂慮しておりますが、その一義的原因が占領地における入植地の建設、東エルサレムの併合措置等イスラエルの占領政策に起因していることは、非常に遺憾なことであります。イスラエルが国際社会の声に素直に耳を傾け、平和的な話し合いに応じる勇気と柔軟な態度を示すよう切に願うものであります。」とイスラエルへの強い批判の思いをにじませ、また米国ではパレスチナ国家を認めるように訴えた。 ここでも伊東外相は「ならぬことはならぬ」という姿勢を見せている。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1981/s56-shiryou-209.htm

 

伊東正義・元外相の持論「外交の基軸は日米・日中」 鄧小平と並んでも堂々としています https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c05822/


 いまの岸田首相も、上川外相も米国の同盟国であるイスラエルへの遠慮からか、イスラエルのガザ停戦を訴えたり、入植地の建設停止をイスラエルに求めたりすることはない。伊東外相のように、公正で、公平なパレスチナ問題の解決を訴えたほうが、国際社会における日本の地位向上に役立つ。何でも米国追従では安保理常任理事国入りなど夢のまた夢だろう。


早野透=桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト 2014年6月17日10時18分 ◆写真は海部俊樹首相(左、当時)と話し合う後藤田正晴・元官房長官=1991年3月15日、衆院本会議場  大学で教師をしている身にとって、4月から6月ぐらいは新1年生を迎えて新鮮な気持ちになる季節である。高校を出たばかりの18歳、私はジャーナリズム論を教えているから、「これからは新聞を読んで、社会のことにも関心を持ってね」とこのごろの安倍政権のことも話題にする。むろん偏向しないように気をつけながら。  そんな授業のさなか、「はーい、先生」と手が挙がった。いったい何かしらと聞くと、「アベさんってだれですか」と言うのである。そうか、アベさんって総理大臣のことだって知らない子もいるんだね。みんなすなおでいい子たちだけれども、スマホの世界で育ってくるとそんなものかもしれない。  いまの大学生はみんな平成生まれ。バイトに追われ就活も苦しいことが多いけれど、何はともあれ平和な平成の世に生まれ育っている。さほどニュースに関心をもたなくても生きていけるというのは、それはそれでいいことなのかもしれない。  しかし、このたび成立した国民投票法では、18歳から投票権を持てるようにするそうである。安倍さんはいずれ憲法9条の改正を俎上(そじょう)に載せて投票してもらおうという心積もりだろう。それなのに、18歳があんまり無関心でも困る。憲法とは何かぐらいは知ってもらわねばなるまい。新聞記者から転身した新米教師ではあるけれど、こりゃなかなか教えがいがあるなあと思った次第である。 ■導火線は「湾岸戦争のトラウマ」    過日、テレビ朝日の報道ステーションに海部俊樹元首相が出演して、1991年の湾岸戦争のことをしゃべっていた。イラクがクウェートを侵攻、それに対してアメリカを中心とする多国籍軍が反撃した戦争である。ぼくらは湾岸戦争といえば、日本が130億ドルものお金を出したのにちっとも感謝されずにがっかりしたあの戦争ねとピンとくるが、いまの大学生にとっては生まれる前の話である。そんな話も噛(か)んで含めるように話さなければ伝わらない。  当時、首相だった海部さんが言うには、実はそのとき、ブッシュ米大統領はShow the flag(旗を立てろ)、「自衛隊を派遣してくれ、一緒に汗をかかないか」と迫ってきたそうである。海部さんは「憲法9条は交戦権を認めていない。クウェートのために日本がイラクと戦うことはできない。国民が許さない。それが、アメリカが与えた日本の国是ではないか」と断った。しかし、いま安倍さんが夢中になっている「集団的自衛権」の行使を認めれば、日本は戦地への自衛隊派遣を拒めなかったかもしれないと、私には思われる。  今回の「集団的自衛権」の行使容認論の最大の導火線は、いわゆる「湾岸戦争のトラウマ」である。あのとき金を出すだけでなく人(自衛隊)も出していれば一人前の国家として胸を張ることができたのにという思いが安倍さんや外務省の根底にある。さて、あのときの日本はへっぴり腰でみっともなかったのかどうか。海部さんは、そうではないともうひとつの裏話を披露した。  「あのとき、後藤田正晴さんがやってきて座って動かないんだ。どんな立派な堤防でもアリが穴をあけたら、そこから水がちょろちょろ出ていずれ堤全体が崩れることになる。アリの一穴をやってはいけないよと言うんですよ」  そう、はじめはちょっとだけというつもりでいても、次に似たようなことが起きるとこんどもいいかとなり、だんだん拡大解釈されて、いずれ日本は平気で「戦争をする国」になってしまうよという戒めである。振り返れば、戦前のアジア侵略の歴史がそうだった。いま自民党と公明党の協議は「きわめて限定した範囲で集団的自衛権を認める」ということならよかろうということになりそうだが、それが危ない。まさに「アリの一穴」の典型になりそうである。 ■平和を生きる世代に聞くべきこと  いまの大学生に聞くと、中曽根康弘さんの名前は「総理大臣だった」とクラスで1人か2人は知っている。しかし後藤田正晴さんのことはまったく知らない。    後藤田さんは、海部さんに「アリの一穴」を戒める前、中曽根内閣の官房長官を長く務めた。そのときの有名なできごとに「後藤田の諫言(かんげん)」がある。    1987年、イラン・イラク戦争で両国がペルシャ湾に機雷を敷設、これに対し中曽根さんがタンカー護衛のために機雷除去の自衛隊の掃海艇を派遣したいと言い出した。しかし、後藤田官房長官は「それを自衛だと言っても通りませんよ。戦争になりますよ」と諫(いさ)め、絶対だめだと拒否した。「私は閣議決定にサインしませんよ」と念を押した。さしもの中曽根首相もあきらめた。   のちに後藤田さんにロングインタビューしたとき、なぜ中曽根首相にあえて逆らったか聞いてみた。「憲法上できないということもあるが、国民にその覚悟ができていたかね。できていなかったんじゃないか」と後藤田さんは明かした。それから20年余りたって、安倍首相は、自公協議にコメントして、「極めて限定した集団的自衛権」の範囲に「ペルシャ湾での機雷除去」も含めるべきだと主張している。    戦争が起きたら、戦地に行くのは安倍さんではない。われわれ昭和生まれの年配者でもない。自分の国が侵されたときならばともかく、他国の戦争にまでしゃしゃりでて、若者に血を流させる覚悟なんて、私たちはとうてい持てない。持ちたくもない。憲法9条を読み返しても、そんな血を流すことを許容するとはどうしても読み取れない。閣議決定で解釈変更などとは勝手すぎる。せめても憲法改正という手続きをとり、未来をになう18歳の若者たちを含めた国民投票によって、ほんとうに「血を流す覚悟」があるかどうかを聞くべきではないか。私は「アベさん」の名前も知らない平和の時代の学生を前にして、そんなふうに思うのである。(早野透=桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト) http://d.hatena.ne.jp/cangael/20140630/1404095913

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