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中村哲医師 -「目指す聖なる場所は一緒だ。それぞれ登り口が違うだけだ」

 中村哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れてから4年が経ったが、今日の『現代ビジネス』に友人で医師の堂園晴彦氏による「『最後は日本で死にたい』…アフガニスタンで襲撃された故・中村医師が漏らした本音」という記事が掲載された。その中に、「現地のイスラム教徒が中村先生に、『あなたはクリスチャンなのになぜイスラムのために力を尽くすのか』と、問いかけられた時に、中村さんは『あの雪を冠った山の頂を見ろ。目指す聖なる場所は一緒だ。それぞれ登り口が違うだけだ』と、答えられたそうです。」とあった。

診察を行う中村哲医師


 この中村医師の言葉に接してアフガニスタン・バルフ出身のイスラム神秘主義詩人ルーミー(1207~73年)の言葉を思い出した。

「道はいろいろ違っても、行き着く先はただ一つ。
見るがいい。メッカの聖所に至る道は幾つもある。
或る人は小アジアからの道を取り、或る人はシリアから、或る人はペルシャから、或る人はシナから。また或る人はインドやイエメンからはるかな海路を越えて行く。もし道だけを見れば、みんなてんでばらばらで、お互いの開きは限りない。が、目指すところに目をつけて見れば、みんなが一致してーつになってしまう。すべての人の心が一致してメッカの聖所に向っているからだ。(井筒俊彦訳『ルーミー語録』より)」


 これは、キリスト教徒がルーミーの話を聴いて感激して涙を流す様子を見て、あるムスリム(イスラム教徒)がルーミーに「どうして異教徒があなたの話を理解できるのですか」と尋ねたことに答えたものだった。

「被造物の間の差異は外的な形に由来する。人が内なる意味を理解したとき、そこには平和がある。おお、存在の精髄よ! イスラム教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒の間に差異が生ずるようになったのは、観点の違いのためである。」-ルーミー

 2010年2月8日に中村医師は灌漑のための用水路とともに、イスラムの寺院モスクとマドラサ(神学校)の完成を祝う式典を開いた。クリスチャンの中村医師は、イスラムにも敬意をもっていた。モスクでの集団による礼拝はアフガニスタンの人々の自信や誇りを取り戻すことになるし、用水路によって恩恵を受ける農民たちの団結や連帯、相互に助け合うという感情を確認する機会にもなる。

中村哲医師が建設したモスク 西日本新聞のギャラリーより


 イスラムの教えの中心にあるのは、平和の達成と正しいことの実践、神の前の人々の平等だが、この宗教的命題はどの宗教にも共通してあるものだろう。アフガニスタンの人々もこれらの価値観を日頃求めて止まないことは言うまでもない。誰もが求めるものは同じだということを中村医師はアフガニスタンでの実践の中で示した。日本人、国際社会はその足跡の意義を噛みしめて世界の平和のために汗を流していくべきだろう。

西日本新聞のギャラリーより

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