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世界のヘイト問題に共通するドレフュス事件の心理的構造

 19世紀末のフランスで起こった冤罪事件のドレフュス事件は、フランスの歪んだナショナリズムから発生したもので、フランス国内のユダヤ人差別が冤罪を生むことになった。

戦前のパリのユダヤ人地区の街並み。1933年〜1939年フランス、パリ。 https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/gallery/jewish-life-in-europe-before-the-holocaust?fbclid=IwAR3C7_RvVpARDd1UmX1JkyMonIdp1-b_T0u922AH5xGBtOSf8TEXv6qYgMQ


 フランスで生まれたナショナリズムは、国内のユダヤ人差別をいっそう強化することになった。フランス革命とその後のナポレオンによるヨーロッパ大陸制覇は、フランスにナショナリズムの考えを定着させた。ナショナリズムの考えによって国家とは同じ言語、文化、歴史、価値観を共有する人々(=一つの民族)によって構成されるという「ネーション・ステート(民族国家)」の考えがフランスをはじめヨーロッパ社会に広まっていったが、クリスチャンではないユダヤ人はヨーロッパのキリスト教文化から排除されることになった。パリのドイツ大使館で見つかったフランス軍の機密情報を伝えるフランス軍関係者による密書はユダヤ人であるドレフュス大尉が書いたものであるという捏造が行われ、冤罪事件として発展していった。

フランス共和制の拡大 https://note.com/voice1/n/n742fbe59d121


 1096年に最初の十字軍が組織されると、ヨーロッパ中世では組織的な「反セム(ユダヤ)主義」が現れることになる。特に顕著だったのが、フランスと神聖ローマ帝国で、特にフランス北東部のメッス、神聖ローマ帝国のヴォルムス、トリーア(現在のドイツ南西部)でユダヤ人に対する激しい暴力の嵐が吹き荒れた。中世ヨーロッパではユダヤ教徒がキリスト教徒の子供たちの血液を「過ぎ越しの祭り(出エジプトを記念するユダヤ人の祝い)」の宗教的儀礼のために用いるという中傷も現れた。この中傷は、後にナチス・ドイツの反ユダヤ・キャンペーンの際にも用いられることになった。
 フランス革命では、自由と平等、博愛がユダヤ人たちにも保障されたが、しかし権利の保障はユダヤ人たちが伝統的な習慣や、宗教的アイデンティティを放棄することが条件とされた。フランスで生まれたナショナリズムの思想は、宗教的というよりも、人種的な差別をユダヤ人たちにもたらすことにもなり、科学者の中にはユダヤ人たちがアーリア人種より劣っているという理論をつくり出す者たちも現れた。

 ドレフュス事件を扱った映画「オフィサー・アンド・スパイ」(タイトルは「ドレフュス事件と冤罪」みたいなもののほうがよかったと思う。フランス語の原題は「私は告発する」だが、邦題ではわざわざ英語のタイトルにしている。)は1906年にドレフュス大尉に無罪判決が下され、スパイ事件の真犯人を暴いたピカール中佐と再会するところで終わるが、ドレフュス事件はその後もフランスのユダヤ人問題の焦点となり続けた。

ドレフュス事件を暴いだジョルジュ・ピカール中佐 https://en.wikipedia.org/wiki/Georges_Picquart?fbclid=IwAR15xpgn-8i3LYYBewRPMFIpzFra4IZq37dHfCtz93UxfZ5Pmoz-7JoBYC0#/media/File:Picquart.jpg


 1940年にナチス・ドイツがフランスを占領して、南フランスではドイツの傀儡政権であるヴィシー政権が成立した。ヴィシー政権のユダヤ人観は当然のことながらナチス・ドイツのそれに従うもので、ドイツ支配時代、反ドレフュス感情が再び高まることになる。ドレフュス事件はフランスにおける差別問題の反面教師としての学校の教科書でも紹介されていたが、しかしヴィシー政権になると教科書での記述がなくなった。ドレフュス氏の親族の中にはナチス・ドイツに対するレジスタンス運動に加わる者が多く、他方1894年にドレフュス大尉を逮捕したアルマン・デュ・パティ・ド・クラム少佐の息子シャルル・デュ・パティ・デ・クラムは、ヴィシー政権の中でユダヤ人を取り締まる部署のトップであるユダヤ人問題担当弁務官となった。
 ヴィシー政権時代にパリの警察当局によって強制収容所に送られた63,000人のユダヤ人が犠牲になった。ジロンド県の事務局長であったモーリス・パポン(1910~2007年)は1、560人のユダヤ人の強制収容所移送に関わった人物とされ、後に1961年10月には、30、000人のアルジェリア系市民のデモに対して、パリの警視総監のパポンは発砲を含む力による弾圧を命じ、少なくとも200人のアルジェリア系市民が橋から放り投げられるか、銃撃されるか、警棒で殴打されて死亡した。

ふたつにみえて世界はひとつ
そのはじまりもその終りもその外側もその内側もただひとつにつながる
そのひとつの息が人間に息(いのち)を吹き込んでいます
-ルーミー(エハン・デラヴィ・西元啓子 (編集), 愛知ソニア (翻訳)『スーフィーの賢者ルーミー―その友に出会う旅』より)

アイキャッチ画像は
「オフィサー・アンド・スパイ」予告編より


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