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キッシンジャーに逆らいパレスチナの独立を認めた日本の政治家たち

 24日、「トム・ディパッチ」にレベッカ・ゴードン(REBECCA GORDON)氏による「100歳になったキッシンジャー:リアリズムは本当に戦争犯罪を必要としたか?(Kissinger at 100: Did Realism really require War Crimes?)」という記事があった。

 キッシンジャーの意向を拒絶し、パレスチナ人に民族自決権(独立)を認めたのは田中角栄首相だった。田中角栄首相は、1973年の第四中東戦争による石油危機の際にイスラエルは1967年の第三次中東戦争において占領した地域からの撤退を実現すべきである、日本政府はパレスチナ住民の合法的な権利を認め、その尊重を行うなどの声明をその年の11月に出した。石油の確保が目的だったとはいえ、パレスチナの民族自決権に明確に言及した政治家だった。

やな奴だった https://twitter.com/yurikalin/status/1644063197891276800


 1973年11月に来日したキッシンジャー米国長官は田中角栄首相に親イスラエルの立場をとるように促したが、田中首相が「日本は中東の石油に依存している。かりに中東からの石油供給が止まれば米国が代わりに日本に輸出してくれるのか」と切り返したら、キッシンジャー国務長官は無言だったという。


 日本に日本パレスチナ友好議員連盟があり、宇都宮徳馬、木村俊夫、伊東正義などの気骨ある政治家たちがその会長であった1970年代から80年代までパレスチナの民族自決権を認める立場をとっていた。1980年10月31日に伊東正義外相は、「安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会」で「米国を訪問した際に中東和平の基本はパレスチナ問題であり、それはパレスチナ人の国家までつくる権利も認め、そしてイスラエルがPLO(パレスチナ解放機構)も認めることだと主張しました。」と語っている。

 ちなみに俳優の菅原文太は伊東正義について次のように書いている。「伊東正義先生(衆院議員)から電話がかかってきまして、『外務大臣室に来い』という。ヤクザ映画ばかりやっていたので、怒られるんじゃないかと思いました。一張羅〈イッチョウラ〉で大臣室に行くと、伊東先生は腰に手ぬぐいをぶら下げていました。伊東先生は『あのドラマ(NHK「獅子の時代」)をずっと見ていた。俺は会津(出身)だから、感銘を受けた』とおっしゃいました。『ああ、そうか』とホッとしました。以来、伊東先生と付き合うようになりました。今でも生きていたら、福島の人たちに何と言うでしょうか。今は伊東先生のような人はいませんね…。自民党にも民主党にも。」

 日本がパレスチナの民族自決権を認める姿勢はキッシンジャーにとっては不快だったに違いない。ロッキード事件による田中角栄逮捕の背景にはキッシンジャーの策動があったことは広く知られるようになっている。キッシンジャーは角栄政権による中東政策とともに、米国に先駆けて行った日中国交正常化などの姿勢が気に入らなかった。(春名幹男「田中角栄はアメリカにハメられた…今明かされる『ロッキード事件』の真相」など)

今となればこの頃の自民党が懐かしい 自民党本部で政治改革本部の看板を掛ける(左から)後藤田正晴・本部長代理、伊東正義・本部長、小沢一郎幹事長、中西啓介氏=1990年4月5日、東京・永田町【時事通信社】

 キッシンジャーは1969年ニクソン政権のカンボジア爆撃を計画、73年2月~8月の半年間に米国がカンボジアに投下した爆弾は25万トンに達した。「この量は、第二次大戦で日本に投下された爆弾の1.5倍にあたり、被爆地区を石器時代に逆戻りさせたといわれた。」(冨山泰『カンボジア戦記』1992年、中公新書、26頁)1971年の第三次印パ紛争では軍人独裁者のヤヒア・カーン大統領のパキスタンを支援、バングラデシュ独立に至るこの戦争では300万人が虐殺されたとも見られている。ラテンアメリカではチリのアジェンデ政権転覆のクーデターを画策した。

 ニクソンとキッシンジャーは1974年には20億ドルの援助をイスラエルに対して行う。このイスラエルへの資金援助の多くが、兵器の購入に使われるために、米国の軍需産業は米国・イスラエルの同盟関係に重大な関心を寄せるようになった。キッシンジャーはとんでもない人物のように見えるが、日本ではこの人物が「外交の大家」として持ち上げられ、高額な講演料が支払われていた。

侠気の人は侠気の人を評価する https://www.nishinippon.co.jp/item/n/573796/

 菅原文太は中村哲医師のことを「弱きを助けて強きをくじく『侠気(きょうき)』の人」と敬意を払っていた。日本人の義侠心はイスラームの人々から評価されてきた。黒澤明監督の「七人の侍」は映画の製作が盛んなイランでも人気がある。イラン・サッカーの伝説的な名選手だったアリ・ダエイ選手は、「七人の侍」をとても気に入っていて、それは「弱きを助け、強きをくじく」ストーリーに魅かれるからだと語っていた。いま、キッシンジャーのような人物に盾突き、パレスチナの民族自決権を公に口にすることができる侠気をもっている政治家がどれほどいるだろうか。

映画「七人の侍」 https://www.telasa.jp/videos/54192

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