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あらためて『きけ わだつみの声』

 昨日は終戦記念日だったが、一橋大学の学長も務めた歴史学者の上原專祿氏(1899~1975年)は、「過去は単なる時間的経過の区切りのことではなく、過去は現在であり、現在は未来に結ばれている。われわれは、過去を背負って生きていくものに他ならない。」と述べた。歴史を正しく知らなければ同じ過ちを繰り返すことになる。

 第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集である『きけ わだつみの声』には下のような文章がある。

「人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。
今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、
ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。
敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。
恐ろしき哉、浅ましき哉
人間よ、猿の親類よ。」

『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』 監督:関川秀雄 配給:東横映画 公開:1950(昭和25)年6月15日 https://wezz-y.com/archives/57423


 「戦う覚悟はあるのか」などの言葉と聞くと、この国の進歩を疑わざるをえない思いになってしまう。中国への憎悪を煽る一方で、中国人観光客の、復活、増加を喜ぶ政治家たちの思考や姿勢はまったく矛盾していて、上の言葉を借りれば「猿の親類」だ。

 鹿児島県知覧の富屋食堂に行った時に特攻隊員であった上原良司氏(長野県・現安曇野市出身、慶應義塾大学経済学部から学徒動員で陸軍に徴兵された)の言葉が目についた。彼は出撃する直前に有名な下のような文章を残している。

 「愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。(中略)願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。」(『きけ わだつみの声』に「所感」として収められている。)

 反戦を貫きながら1944年にフィリピン沖で戦死した東大生・中村徳郎(とくろう)氏(1918~44年)の手紙や日記などの資料47点について、2019年3月27日、甲州市教育委員会は市の文化財に指定することを正式決定した。甲州市の保坂一仁(かずひと)市教育長は「ありのままの資料がないと、歴史が変わって伝わる恐れがある。文化財指定により、記録を正しく残せる」と語っている。https://mainichi.jp/articles/20190304/k00/00m/040/127000c

甲州市は僕の郷里の山梨県にありますが、この教育委員会に拍手を送りたいですね。 山梨・甲州市教委 「記録正しく残す」 戦没学徒の手記、文化財に 比沖で戦死、東大生 戦中に撮影した中村徳郎氏(左)と克郎氏=わだつみ平和文庫提供 https://mainichi.jp/articles/20190305/ddm/012/040/092000c


 中村徳郎氏の弟、中村克郎氏(1925~2012年)は山梨県甲州市の医師でありながら、『きけ わだつみの声』の編集を行った。『天皇陛下の為のためなり』(1989年発売)では「一人一人の生命の尊さ、重さは日本以外の国々の人でも同じです。そのことを考えないで、『国難に殉じた英霊のみたまを国がまつるのがなぜ悪い』と開き直る人たちは、みな今の日本の軍隊をもっともっとふやし、『ソ連が攻めてくるぞう、来たらどうする』と言って、国民の血税をとめどなく軍事費にまわそうしてふやそうという人々とイコールになっています。」と語っている。「天皇陛下の為のためなり」という言葉は開戦の責任も敗戦の責任もとらなかった世界史でも前代未聞の無責任の「あの男のため」という克郎氏の怨念が込められている。

「日本の古本屋」より

 中村克郎氏の危機感は、反撃能力、防衛費倍増、核抑止論などがまかり通る中でいままた深刻になっていることに容易に気づく。上原ら戦没者たちの尊い犠牲によって日本の平和が築かれたことを銘記して、日本が再び戦争の惨禍に巻き込まれることがないように私たちは常に注意を払い、歴史に照らして現在、未来を考え、戦争のない状態の維持に努めたいものだとつくづく思う。

表紙の画像は安曇野にある上原良司氏の碑
http://katana23.exblog.jp/9685

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