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モンゴルで上がった神輿(祭×海外①モンゴル)【祭ラジオ#7】

令和4年8月。
おそらくモンゴルで初となるお神輿が首都ウランバートルにて渡御されました。
日本とモンゴル国交50周年を記念し、両国の友好を願って担がれた神輿。
どんなドラマがあったのでしょうか。

日本とモンゴル

「宮田さん、国交50周年の記念にモンゴルでお神輿担ぎたいんだけど」
そう連絡をくれたのは、以前リトアニアで出会った松村さんという女性でした。
松村さんは前職にてODAの開発コンサルタントをされていた方で、モンゴルの開発と発展に寄与された経験があります。
国交50周年、以前は開発途中だったウランバートルを訪れることは彼女にとっても特別な思いがあったようです。

訪れた日本人墓地

あまり知られていない事実ですが、かつて日本とモンゴルは敵国でした。
日本が降伏する数日前の昭和20年8月10日、モンゴルは日本に対し宣戦布告を行いました。
降伏した日本からは捕虜として約60万人が捕虜として抑留され、モンゴルへも約1万2000人が送られたといいます。
ウランバートル市内にある日本人墓地には多くの日本人が葬られ、当時の強制労働の過酷さが伝えられています。
また市内数カ所には日本人が建設に関わった施設が残されており現在でも使用されています。

日本人墓地にある木柱。印象的な言葉が刻まれている


「諸氏よ 祖國日本は 見事に復興しました
モンゴルに 安らかに 眠ってください」
これは日本人墓地に建てられた木柱に刻まれた言葉です。
戦後復興の後、この地を訪れた日本人により作られたのでしょう。
あまり知られていない歴史ですが、国交50周年の年を迎えこの地を訪れることは両国の友好的な協力によって神輿が担ぎ上げられる意味を深く感じる経験となりました。

いつか海を見てみたい

イベントはウランバートルにあるホワイトロックセンターという場所にて行われました。
2日間かけてホール内でのパフォーマンス、文化体験ブース、神輿の組み立て、神事、会場外へ向かう渡御などが予定されていました。
「私はティムです。日本語をべんきょうしています。」

日本文化ブースで書道を描いてもらったティム君。選んだ言葉は「自動販売機」


と、ブースに訪れてくれた高校生がいました。
彼は日本のことが大好きで学校でも積極的に日本語を学び、日本文化についても興味津々です。
「私は海を見たことがない。いつか日本へ行って海を見てみたい!」
モンゴルは日本の国土の4倍もある大きな国ですが近接する海が無く、海を見ることが彼の憧れとなっているようです。
遠いモンゴルの地で、純粋な視線で日本のことを愛してくれている青年がいることを本当に嬉しく思います。
日本とモンゴルはかつての歴史において禍根を残すことなく非常に友好な関係が築けています。

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