普通のおじさんと迷惑おじさんの違いは、努力の差にある。
自分が50代になって、50代の言い争いが余りにも醜いなと思うようになりました。私よりも先輩が4名いる職場ですが、議論ならいいのですが言い争う姿は本当に醜いなと感じるようになりました。
先輩の議論は、若手からすると不毛なものでしかなく、会議で始まってしまっては、早く終わればいいと呪文をかけていました。若手との議論であれば、いい雰囲気に持って行ってくれればいいなと見守るのですが、先輩たちで始まってしまった時は、さすがに口を挟むようにしています。
ただの頑固な人の言い争いでしかない事が多い。周囲の若手もまたかという感じで、ただただ下を向いていたり、電話の取次ぎに間に入ってくれていたり、余計な気を遣わせてしまう非生産的な空気に変わってしまいます。
私は、8年間ほど自分が最年長の職場だったので、気にしていなかったのですが、今の職場にきてみて、諸先輩がいる中で仕事をしていると、時々勃発する紛争に、うんざりする場面に遭遇することになりました。割って入ることができるのは、やはり同世代でしかできず、私の方が職責上は上になるので、「場所を変えませんか?」を声をかけるようにしています。
長い時には10分程やり続けるので、こちらも限界が来ます。意見を言い合う議論の時間ならいいのですが、相手を否定していたり、解決できないことを言い合っている場合は、割ってはいるようにしています。自分が若手の時には、さっさとその場からいなくなっていたのですが、今はそうもいきません。早めに終わらせるように努力しています。
自分の主張を続けることは、悪いことではないのですが、相手を考えない意見は攻撃でしかなく、リスペクトは必須です。自分の事が中心になってくると、迷惑おじさんになりがちですね。
何かに頑張っている人は、自分の事を見失うことはないです。趣味を持っている、マルチタスクで多忙にしている方などに、意固地になる人はいませんね。暇な人に限って、クレームおじさんだったり、迷惑おじさんだったり、めどくさいおじさんになりがちです。
ただのおじさんでいるためにも、頑張る必要があるということです。