韓国映画「サラヨナの伝え方」


韓国のドラマや映画と言えば、緊張感あるリアルな現場の描写や人と人との駆け引き、やり取り、そんなシーンに魅せられてきましたが、今回みた映画は全く反対側にある作品でした。猫と話ができる青年が、パートナーが飼っている猫が、実はそのパートナーの亡くなった母親の化身であり、猫=母親との会話を通じて、パートナーの女性との関係を気づいていく。最後は、猫ががんになり、他界するがそれは母親が成仏することを意味しており、がんであると知ってから主人公は猫を会話ができることを少しずつ、その母親との相談の中で進めていく。そんな物語でした。

非常に暖かで、やんわりとした描写、風景、そして猫という第二の主人公を介してすすむ物語は、優しい気持ちになっていきました。まだ生きていたころの母親との思い出を振り返りながら、「年代ものの食器には、使ってきたそれぞれの人の愛が詰まっている」という母親の言葉からも、作品全体に愛情が詰め込まれた作品であったなと感じます。

韓国作品は比較的緊張感のあるものが多いように感じますが、今回は全くそのような引き込まれ方はなく、むしろ、淡々と進んでいく物語に何か安心感のようなものを感じます。主人公が修行していた寿司屋の大将が入院して海鮮鍋のお店に代わってしまいましたが、最後に入ったうどん屋で大将らしき人と再会をする。しかし、その対象は全く覚えていない。きっと入院の後遺症なんだろうけど、再会するという場面設定にこの作品を締めくくるメッセージが込められていたように感じます。

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