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スティーブ・ジョブズとドン・キホーテ

1996年、スティーブ・ジョブズ不在のアップルを取り巻く経営環境は風雲急を告げていた。

米国ではPOWER COMPUTING 社がデルと同じ直販方式によるMac互換機(アップル製でないMacのことだ)の製造・販売で急成長を遂げていた。

元来アップルにとっての互換機戦略は互換機メーカーによるMac陣営を形成することによりアップルのMac事業を強化するというものであったが、現実はむしろその本業を脅かすものとなりつつあった。

POWER COMPUTING社の日本進出も噂されており、国内でもパイオニア、モトローラ、台湾ベンダーのUMAX社等がMac互換機の販売を始めていた。

当時軽自動車ほどの価格もしていたIBM 互換ノートパソコンのハイスペックモデルを直販方式で他社より3割前後安い価格で販売し成功を収め、また業界大手に先駆けて省スペースデスクトップPCと液晶ディスプレイを組み合わせた製品を初めて市場化し、パソコン業界で注目を集めていた会社があった。

日経新聞では業界タブーの比較広告を展開し、デルや国内メーカーに事実上の果たし状を送りつける。

同社は1996年の日経ベンチャーオヴザイヤーに選ばれ、液晶デスクトップPCは同年の日経産業新聞による日経製品サービス最優秀賞を受賞した。出資者でもあったマイクロソフトの成毛社長(当時)は直販ビジネスモデルを目指す同社についてその社名(AKIA)をAKIBA(アキバ)のビジネス("B")を取るんだ!と解説していた。

その会社が今度はMac互換機事業に打ってでるという。

また業界内で大きな話題になった。Mac OSのライセンスは当時POWER PCを製造していたIBMから供与されたもので、立ち上げに当たっては同社と日本IBMによる共同の日経朝刊15段(全面)広告が打たれた。

同社へのハードの設計・供給においてはUMAX社の他、同じく台湾のノートPC EMS世界最大手であるQUANTAも触手を動かしていた。CEO Barry Lam氏は同社の出資者でもあり、すでにMac互換機のノートPCや液晶一体型デスクトップPCの同社に対する製品供給計画が進められていた。

UMAX社のOEM供給による同社の省スペース型のMac互換機はハイパーフォーマンスのMacマシンに飢えていた当時のMacユーザーから多くの期待と歓迎をもって受け入れられた。

しかし1997年2月に復帰を遂げたスティーブ・ジョブスはアップルの互換機戦略を真っ向から否定し、即座にOSのライセンスを停止する。次期OSが動かない互換機は売りようのない製品となり、同社は深刻な経営危機に瀕した。

同社は幸いにもカシオ計算機の傘下に入り倒産こそは回避したものの2001年に解散となる。

ボクはこのドン・キホーテのような会社の1メンバーだった。

#電機業界 #パソコン #ジョブズ
#マック互換機 #アキア

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