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苦みの中にあるもの

友人のとある一言

仕事やら麻雀やら新ロン2やらで忙しく、なかなか更新出来ずでした。

さて、メンバー時代のお話でもしようかな。

今から22〜3年ほど前になるでしょうか。
いつもの面子が集まらずセットが打てない。
けど、麻雀が打ちたいと悩んでおりました。
やる事もなくゴロゴロしてたら、友人が近代麻雀の広告ページを見て一言

「近くに雀荘あるけど、フリー行ってみないか?」

普段のセットは符計算も無しで
1飜1000点・2飜2000点・3飜4000点・4飜8000点と倍々になるシステム。
メンタンピンツモで満貫、七対子ドラ2でも満貫。

しかも、ローカルルールが多数ありました。
1番ヒドかったのは、8種9牌で流せるんです。
ちなみに最近の私の配牌なら、2局に1回は流せてます。

「いやいや、知らない人と打つの緊張しちゃうよ。でも、麻雀打ちたいし行っちゃうか」
ドキドキとワクワクを胸に、足早に駅へと向かった。

初めてのフリー雀荘

エレベーターで4階まで上がる。
すぐに入り口があり、自動卓の音がジャラジャラと響いている。
先程の勢いは何処へやら
「また今度にするか」
友人は尻込むが、半ば強制的に入店させた。

モーニング娘。が流れる店内から、サーファーっぽい店長が声を掛けてきた。

「いらっしゃいませ〜お2人ともご来店は初めてですか?」

「はい。フリー自体初めてで、符計算も曖昧ですけど大丈夫ですか?」

と確認すると、ルールがわかってれば平気だよと。

ドリンクを聞かれ、友人はアイスブラックを頼む。

大人ぶりやがって。
君がブラック飲んでるの見た事ないわ。
なんならさっきまで1.5ℓのコーラをラッパ飲みしとったやないかい。

ちなみに私も飲めないブラックを頼む。

ルール説明でよく理解出来てない部分もあったが、コーヒーが苦くてそれどころじゃなかった。

常連さんっぽい40代の男性2人の卓に案内され、私の親番でスタートした。
思った以上に緊張してたのか、ブルッブルに手が震えてて、取り出しで山をめちゃくちゃに崩す大惨事。
頭真っ白・顔真っ青になってたら、笑いながら許してくれました。

この日を境に足繁く通う事になり、常連の仲間入りをするのであった。

店長からの誘い

休みの日は朝から晩までひたすら打つ。
飯も食わずにとにかく打つ。
そして毎回のように負ける。

それを1年ほど繰り返していたら、店長から

「宮田、麻雀好きか?」

とあるサッカー漫画で見た事のあるセリフだ。

「はい!大好きです」
と答えた私に

「そんなに好きならメンバーやってみないか?」

次の日には寮に引っ越す事になった。

私の人生のターニングポイントとなった日だ。

驚愕の事実

メンバーを始めるにあたり【制約】なるものを教わった。
今でこそ【制約】がない店が多いが、昔は当たり前の時代だった。
いくつか挙げると
・東場の1000点仕掛け
・シングルバック(ダブルバックは満貫以上)
・役が絡まないカンチャンリーチ
・役牌のドラはテンパイか良形シャンテンまで切らない
・ドラを鳴かれたら(ポン)降りない
・オーラス裏1条件はダメ
・見せ牌・コシ牌は現物とスジもアガれない
など他にも色々あり驚愕した。

聞いた時は意味がわからない事だらけだったが、それぞれにちゃんとした理由があった。

だが、私の梅干しクラスの脳みそでは順応出来ず、今まで以上に負ける事が続いた。

次第に、楽しさよりも悔しさが募り、店長に八つ当たりのような怒りをぶつけた事があった。

なぜ普通に打ったらダメなのか。
なぜ【制約】なんかあるのか。
これはただの接待麻雀ではないか。

怒られるのは覚悟の上だったが、返って来たのは意外な答えだった。

「メンバーってのは麻雀バカの集まりなんだよ。これくらいのハンデ背負って勝つ方がカッコいいだろ?」

騙された感はあったが、確かにカッコいいなと納得したのを覚えている。

ついたあだ名は

当時の私はとにかく打牌が緩かった。
アガる事しか考えず、自身の手が安くてもシャンテンであれば降りる事もないし、下家がマンズの染め手でも、お構いなしでマンズを切る。
ついたあだ名は

【ローション宮田】

ヌルヌルだ。

私の他にも
いつも負けていた【ATM○藤】
死んだ魚の目に似てるから【魚】
毛が濃くて筋肉ムキムキ【ゴリラ】
男ならわかるだろう【ドリチン】

今ならば完全にコンプライアンス違反だ。
ただ、当人もネタにしてたのでセーフだろう。

他にも個性的な麻雀バカが大勢いたが、それは次回以降のネタに取っておこう。

青春の終わり

毎日麻雀を打ち、勤務が終われば居酒屋に行き、箸袋の裏に牌姿を書き、夜明けまで何切るで盛り上がる。
永遠に続けばいいと思っていた日常だったが、物事には必ず終わりが来るものだ。

私は結婚を機に辞めることになったが、ちょくちょく遊びには行っていた。

辞めて3年ほど経った頃だろうか。
この頃は仕事と子供で忙しく、なかなか顔を出せない時が続いていた。

夜中に店長から電話が来た。
ご無沙汰だから、たまには遊びに来いよの催促電話だろう。
眠い目をこすりながら、通話ボタンを押した。

「○月○日で店を閉める事になったから、最後に打ちに来てくれると嬉しい」

最初は冗談かと思っていたが、どうやら本当だった。

その日は平日だったため、急いで仕事を終わらせて車に乗り込んだ。

店に入ると懐かしい顔ぶれが揃っていて、待ち席にも人が溢れていた。

元メンや常連さんと2時間ほど昔話に花を咲かせていると、店長と打つ順番が回って来た。

オーラス、トップ目で親番の店長とは跳満ツモ条件。
9巡目にメンタンピン高目三色でリーチを掛ける。
ツモった安目が赤で裏1条件となるが、そっとツモ切った。
この店以外ならアガッていただろう。

数巡後に高目をツモるが、裏はなかった。

「やるなぁー強くなったじゃないか。今日はありがとうな」

その言葉が何より嬉しかったし、色々な感情が入り混じり、涙が溢れて止まらなかった。

帰り際に手渡された缶コーヒーは、あの時と同じ


ブラックだった。

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