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吾輩は、ACである。特に問題は無い。④

終末思想を信じた結果について語る①

さて、前回お約束した「終末思想を信じた結果についてお話する」を始める前に、いつものおさらいから始めようと思います。なぜかというと、タイトルと内容が違うじゃないか、と読者の方に思われるかもしれないので。
という事で、よろしくお願いします。

タイトルにある「AC」とは、アダルトチルドレンの事です。
アダルトチルドレンとは、アルコール依存症の親の元で育てられた結果、生きづらくなっている人、という意味です。近年では、いわゆる「毒親育ち」「機能不全家族」のもとで育った人も、ACだと言われています。
ACは診断名ではありませんが、わりと広く世に知られている概念です。

本題に入る前に少し横道に逸(そ)れるんですが、私にとってのACって何だろうって、ふと思ったんですよね。今。

というのも、家族関係とかが複雑な人で、生きづらさを持った人たちはみんなACなのかと言えば、そうでもないじゃないですか。生きづらさという結果の原因は、様々なんですね。

例えばある人が、緊張すると言葉が出てこないために会話の際は「どもって」しまう。結果、何だか生きづらいなという思いがある時。
その生きづらさの原因は、吃音(きつおん)なんですよね。

だけど同じ吃音の人でも、周囲の理解があって吃音を改善するトレーニングを受けている人と、まったくサポートを受けていない人とでは、生きづらさの強度は違うと言えるのではないか。
この場合、保護者が子供に関心が無くて、その結果吃音に対するサポートが得られないという状況がある場合、その子が大人になったらACになるのか。
いや、同じ状況があったとしても、生きづらさを感じる人とそうでない人がいるんじゃないのか……ACって、結局何だろう?

という事を考えつつ、自分で自分にツッコミを入れるのですよ。
ACっていうけどさ。それってあんたがアル中の父親と、宗教に家の大事なお金を献金しちゃった母親との間に挟まれて、双方の会話の橋渡し役をやってた10代の頃の痛みがさ、まだ痛いの? そうでも無いでしょ? だったら今こうしてACだとか私小説書いて、何がしたいのさ。単に、誰かに聞いて欲しいだけなんじゃないの? あんたの人生なんて誰も興味ないからね、言っとくけど。それに、今困ってる事ってある? 無いでしょ。だったらもう、気楽な中年の昔話ってタイトルで良くない? もっと言えば、あんたって昔はACだったかもしれないけど、今はもう違うんじゃないの? 生きづらいの?

さて、本題に入りますかね……
(すいません、何だか変なノリで)

ところで、終末思想って皆さんご存じですか。たぶん、オカルト好きとか新新宗教系の信者、元信者、あるいはキリスト教や仏教(弥勒菩薩、空海)に興味があって、という人以外は「なんじゃそれ」って感じですよね。
という事で、終末思想(終末論)をネットの辞書から引用しますね。

終末論(しゅうまつろん、英語: eschatology)とは、歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方。目的論という概念の下位概念。

社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむような時代に、その困窮の原因や帰趨を、神や絶対者の審判や未来での救済に求めようとするのは、どこの文化でも宗教一般に見られ、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教といった一神教においてのみならず、仏教などの宗教などにおいても同様の考え方がある。しかし、終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば、終末論は本質的に一神教のものである。

Weblio辞書より引用、抜粋 2022/04/26閲覧

皆さんぱっと見、意味分かりますか。私は「目的論」って何ぞや、って思いました。予備知識が無いと、理解が難しい概念である事は間違いないと言えますね。たぶん。私が頭悪いだけなんだろうか。

という事で、難しい宗教や哲学的な話なんか私は出来ないので、この終末論・終末思想がいったいどのように「運用」されていたのかを今から語ろうかと思うんですね。

結局どんな理屈・理想を言っても、その理屈ないし理想、思想が実際どう使われているかが「問題」なんだと思うんです。
なぜならその理屈が実際「迷惑なものか、ありがたいものか」っていうのは、それがどう使われてどんな結果をもたらしているかで決まると思うからです。

という事で、ここでいったんお話を区切ろうと思うのですよ。
ちょっと話が長くなっちゃったので。お昼ご飯を食べてから続きを再開したいと思います。また後でお会いしましょう。

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