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エスコンフィールドで野球が大嫌いだった私は感動に震えた

私は野球が大嫌いだった。
子ども時代を過ごした1980年代。当時は「野球を知っていて当然」の世の中で、スポーツといえば野球だった。
夜のテレビは野球中継が多く、そのせいで楽しみにしていたアニメやバラエティ番組は遅れたり、なくなったりした。
学校のキックベース(あったね!)やソフトボールの授業では「野球とほとんど同じだから」とルール説明を省かれ、私はわからないまま置いていかれた。誰も説明なんかしてくれなかった。
運動が苦手で、体育の成績は5段階評価で常に2だった私は野球なんて見るのも聞くのも大嫌いだった。
私は野球なんて興味がないよ!たかがスポーツじゃないか!
みんな、野球野球騒ぎすぎなんだよ!

という人格形成期を過ごしたわたしなのに。
数年前からどっぷりとファイターズファンになり、
2023年3月。
エスコンフィールドHOKKAIDOで感動に震えている。

エスコンフィールドHOKKAIDO

北海道の北広島市に新しく出来た球場。北海道日本ハムファイターズの新しい本拠地。それがエスコンフィールドHOKKAIDO。
サウナや温泉があるとか、ビール醸造所があるとか、当日は駅も道も球場内の飲食店も激混みだったとかそういうのはさんざん他の人たちが他のところで話題にしているだろう。
だからこの記事では、そのへんにはあんまり触れない。
ただただ、私が現場で感じて、思ったことを書く。


北海道を訪れるたび、JRの車窓からその場所を眺めていた。

2019年8月

最初は、「こんなところに本当に作るの?」

2020年8月

「本当に?」。
しかしそのうちに丘が拓かれ、土が盛られ、

2021年8月

「ああ、建物がある。」
それは少しずつ、着実に形作られ、

壁が現れ、

2022年8月

ついに、球場となった。

本当に出来たのか。あの、なにもなかった場所に。
私はただただ、人間の力に唖然とした。
人間の、思い描く力と、それを形にした力。
そしてもちろん、「実際に」その工事を手掛けた職人さんたちの力に。


2023年3月30日


北広島駅から歩き、徐々にその異形に近づく。
ああ、本当に建っているな。
新しい道、新しい橋。周辺はまだ開発中だ。草も木も生えそろっていない。
そんな中で新しい球場は、要塞みたいに、神殿みたいに鎮座している。

異形。要塞。

そうなんだよ、遠くから見ると、ちょっと怖いくらいに異物なんだ。
単に見慣れていないというのもあるけれど、物質的に明らかに「それまでそこになかったもの」がいきなり現れたのだから。

だけどその場所には、ひとがたくさん、たくさん集まっていた。
試合の観戦チケットは完売、ということは3万5千人くらいはいるわけで、しかもその日飛ぶ予定のブルーインパルスを見に来た人たちもいて、あと球場の外のお店に並んでいる人や、座席なしの入場券のみ購入の人たちもたぶんいっぱいいて、まさに立錐の余地なしというほどで、それでその人たちがみんな、できたばかりのあたらしい場所にわくわくして、そわそわして、きょろきょろしながらふわふわうきうきと歩いていて、それはなんだか、もしかしたら楽園ってこんな場所なのかも、と思うくらいにみんながみんな、少し微笑みながら居たのだった。

それは球場内に入ってからも変わらなくて、飲食店の長蛇の列に並びながらもその気持ちは却って盛り上がるくらいだった。
初めての場所で迷子みたいなゲスト(私もだ)、慣れない案内のクルー、待機列を整理するその飲食店の普段は接客なんかしないであろう本社の人らしき人。大混雑、大混乱、だけど誰もが新球場開業という特別なその時間を本当に特別な時間にするために、その新しい場所を祝福するために、この喜びを共有して保ち続けるために、見えないかたちで団結していた。
だって、わたしたちは今、この特別な空間に一緒にいるのだ。

後日、ネットの記事やSNSなんかで、大混乱大混雑大失態だの何だのと言われていたが、正直そんなのは別に構わないんだ。というより、あの時あの場を共有した私たちにとっては、それよりも喜びのほうが大きかったんだ。
そりゃあ、混んでたよ。待たされたよ。私なんか2時間近くも飲食店に並んでてセレモニーの最初を自席では見られなかったよ。でも仕方ないだろう、開業初日なんだから。お店のスタッフは全力で接客をし、調理をし、ゲストは全力で並び、待った。同じことは試合終了後の交通バス鉄道にも言える。そこに非難されるようなことはひとつもなかったよ。そりゃあ、今後はもうちょっと改善されたらいいなとは思う、でも数時間待たされたことも含めて、とにかくこの日はふわふわ、うきうきと過ごしたのだ。

試合開始前のセレモニー。今までとこれからの全てを労い、祝うかのような音楽と光。
大きなガラス壁の向こう一面に打ちあがった花火には呼吸を忘れるくらいに見入ってしまった。
本当はファイターズファンとイーグルスファンとで分かれているはずの3万5千人が、そういうことはすっかり忘れて、新しい球場と、開幕する大好きな野球を、ただただ大きな喜びと拍手とで祝福していた。

祝福。
そうだな。
こんなにたくさんの人が、ひとつの場所に集まって、いっしょになにかを喜び合うことなんて、人生でそんなにないだろう。
私はなんて幸せな場所に今、いるのだろう。
そう気づいて、体の内側から震えた。

わたしたちの日常は、いくらがんばっていてもそれが実らなかったり、心を込めたって伝わらなかったりする。
まっすぐ進もうとしても、自他からの誤魔化しや疑念や諦念にさえぎられたりする。まっすぐ進みたくない時だってある。
誰かをうらやんだり、妬んだり、呪ったりすることもある。
そういうことから、いちばん遠い場所がここで、今だ。


4月1日、2日

二戦目と、三戦目にも球場を訪れた。
初日よりも周りを観察する余裕のできた私は、この二日間、野球を見に来ていない人々の多さに気づいた。
食事やお酒を飲んだりすることをメインに来場しているらしい人々がたくさんいるのだ。その証拠に、私が試合の凪を時間帯を狙って買い出しに行った先で、野球なんか見ずに食事と仲間同士のおしゃべりを楽しむ人たちを目撃している。
そうだろうな、とは思っていた。温泉だとかサウナだとかグルメだとかを全面に打ち出している告知からも、それは明らかだった。
この球場は、野球ファン未満を取り込み、野球ファンにしようとしている。
ご飯を食べに行った先で、目を移せば野球をやっている。どちらか応援してみようかな。
作りたてのクラフトビールが飲めるらしい。味わいながら野球を眺めるなんていうのもありだな。
むしろそういう人たちをメインターゲットにしているのだろう。
そうかなとは思っていたけど、本当にそうだと思われる人たちが、思っていたよりたくさんいるらしいことに驚いた。

ありがとう、来てくれて。
ありがとう、野球に来てくれて。


4月3日

4月3日は試合がなかったのだけど、私はまた球場を訪れていた。
そして驚いたのだ。この日も人がいることに。

試合がない日に球場に人がいる。
何をしているのか。ただただ、行きかっているのだ。
ベビーカーときょうだい。
役目を終えた祝い花を分けてもらって持ち帰る、地元の人たち。
荷物の大きな旅行者。
球場内にも人はいた。
スタジアムツアーの参加者も多かった(私もだ)し、その他、室内の遊び場で子どもを遊ばせて、ミスタードーナッツでドーナッツを買って帰る人たち、大谷選手とダルビッシュ選手の壁画の前で写真を撮る人たち、スタンドの座席に座ってグラウンド整備を眺める人たち、ただただ歩いて周りを見て写真を撮る人たち、等、
思い思いにそこで過ごしている。

さらに、球場外の遊び場に、試合があった日よりも子どもたちの姿が多かったことに、私はまた震えてしまった。
ああ、この子たちは、野球というものの前に球場という場所の楽しさを知ることができるのだ、なんてうらやましいんだろう!

もし私の子どもの頃にこんな場所があったのなら。
私はあんな風に、野球を毛嫌いすることがなかったかもしれない。
ただただ、親に連れられて来る「きゅうじょう」という音の響きが、楽しい嬉しい思い出と結びついて、良いものとして心に残ったかもしれない。
そうすれば、私はもう少し早く野球というものに興味を持てたかもしれない。
つまり、この子どもたちは、その可能性を持っているのだ。
突如現れた「球場」というものに、何の畏れも警戒心もなく、当然の景色のように飛び込んでいける子どもたち。
なんということだ、これが世界が変わるということじゃないのか。

もちろん、大人たちも。
ビールを飲むついでにぼんやり眺めた野球が、実は面白いかもしれない。仕事帰りに食事に立ち寄ったら、意外と野球で盛り上がれるかもしれない。
ちょっと行ってみようかと誘った球場で、恋が芽生えるかもしれない。
こんな場所が身近にあったのなら、私はもう少し早く、野球の面白さに気づけたのかもしれない。
なんてうらやましいんだろう!

この地を訪れるたくさんの人が、この地に携わるたくさんの人が、この地域そのものが、新しい球場を得て、少し動いた気配がした。
なるほど、こういうことだったのか。
新しい球場が開業し、新しい場が生まれるということは。

ああ、私この時に立ち会えてよかった。


野球なんて嫌いだったよ


しかし私は数年前まで、野球が嫌いだったのだ。
だからこの球場に興味がない人の気持ちも考える。
あの頃の私が地元の人だったら。
いきなり球場を作るだなんて何を考えているんだ。人が増えて道も混む。木が切られる。騒音が増える。夜まぶしい。そもそも、スポーツなんて何の役にもたたないだろう。←わかる

あの頃の私がテレビをみていたら。
なんだよ最近、新球場新球場って特集ばっかりじゃないか。もう他で見たよ。おんなじ情報ばっかり繰り返して、こっちは野球にも球場にも興味ないんだよ。←わかる

あの頃の私が新聞を読んでいたら。
たかが球場がひとつできるくらいのことに紙面を割くな、他にもっと伝えなきゃいけないことがあるだろ。←わかる

わかる。わかりすぎる。
だって野球に興味ないもんな。
たかがスポーツの、たかが野球の、たかが新球場。
世の中のすべてのひとが野球に興味があると思うなよ。
わかる。わかりすぎる。
今だって、そういう人がいるのを忘れてはいない。
私がそうだったのだから。

野球に興味のない人たち。新球場に興味のない人たち。
ごめんね、私たちはしゃいじゃって。
でもね、これはちょっと、すごいことだと思うの。
新しい環境が生まれること。それで地域や生活が少し動くこと。
多くの人に祝福されること。その場で過ごす一瞬が純粋に幸せなこと。ままならない日常から、少しだけ離れることができるこの場所を、私たちがはしゃぐことを許してね。


異形の要塞だったエスコンフィールドのガラス窓は空と雲を映し、地域に溶け込み始めている。人々に囲まれている。新しい生命体が呼吸をし始めている。
こうして育まれ、根を下ろしていくのだな。
がんばれよ、新球場。
おめでとう、新球場。
この新しい球場が、これからの野球の、地域の未来を拓きますように。
たくさんの祝福とともに幕を開けたことを、どうか私、私たち、これからずっと忘れませんように。




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