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ボクらの物語

【エンド・クレジット】の副部長の役割の話繋がりで…
ここ数年、特に役職名のない今の自分の役割って何なんだろうと考えていた。
役職名がないことはないけど、役割がハッキリしないのでフム…と考えていた。

昔、自分は何の役にも立たないと思っていた。
というより役に立たない自分は必要ないだろうから、誰かの何かの役に立つ存在でいないと生きていてはいけないという脅迫概念みたいなものがあった。

自分が産まれたことによって家族みんなが不幸になったんだと思い込んでいたから。
誰もそんなこと言ってないし思ってもないのに。
たまたま、色々な不運が重なっただけ。

せめて役に立つためと、無意識のうち誰かの望む自分でいようとする癖がついていた。
でも、持って生まれた自我の強さに抗うこともできず、自分のはずなのに意見がいくつも乖離している感覚になることがあったりもして、多重人格なのか?と悩んだこともあったけど、たぶんどれも自分。
人を優先しようとする自分も、自分の信念を通したい自分も、強い自分も弱い自分も。

自分がしんどい思いをしている時は、なんだかんだ自分で選択してきた道の上にあることだから仕方のないことと思っていた。
でもそれは純粋に自分のために選んでいるわけではなく、何かに必要とされて自分を使うことで役に立っていると思いたかっただけかもしれない。

自分にとって一番必要なものはなんなのか?

友人に「私の大事なミヤを苦しめるのはミヤであっても許さない」と言われたことがある。
大事な友人の大事なもの(自分)が辛い気持ちになっている…
そう思うようになってからは心から自分を大事にしようと思った。
私を傷付ける=大事な友人が傷付けられることになるのだと。
それだけは何があっても絶対に許さない。

私の大事なものは大好きな友人たち。
矛盾したことを言うかもしれないけど、自分よりも大事だと思うこともある。
みんなが私のことをつくってきてくれた。
友人たちと過ごす時間が何よりも楽しくて嬉しくて輝いていて、私の好きなものや苦手なもの、私の良いところ良くないところ、役割、価値、知識、経験…みんなに少しずつ与えられて肉付けされて今の自分がいる。

だから、自分を嫌いでいるということは、大好きなみんなのことを否定することになるからやめようと思うようになった。
それからは、自分のために自分を使って生きることを心がけていると思う。

少しずつ友人たちとの思い出を辿る。
忙しいを理由に、自分にとって一番必要なことを疎かにしていた。
大事な人たちとたくさん時間を共有することが私の制作のエネルギーであり生きる意味。
リアルでもオンラインでも、隙間を見つけてはみんなどうしているのか自分はどうしているのかを話す。
たくさん笑って時には泣いて、本当にみんなのことが大好きでありがとうという気持ちばかり。

改めて今の自分の役割は何なのかを考えたら、大好きで大事な人たちが私に与えてくれた目に見えないものをちゃんと形にしていくこと、そしてその人たちのこどもたちに残せるものをつくっていくこと。
なんだなぁと、思う。

それが全ての物事や人たちに対する私なりの恩返し。
自分にとっての喜びであり幸せ。
残りの寿命を正しく使い切れますように。

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