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個展 Anna|櫻井莉菜

宮森)櫻井莉菜さんから、個展 Anna へテキストを書いていただきました。


2023 年 7 月 27 日、宮森みどりの個展「Anna」がおこなわれている荒川区のギャラリーOGU MAG +へ訪れた。

私がこのギャラリーへ行くのは、中谷優希の個展以来だ。 セラピーを必要としていた作家の症状が最もひどかった時を思い出しながら、当時の自分が来られる環境を目指して作られたという空間は、リラックスした気分で作品鑑賞ができる 稀有な体験だった。その際に、宮森がこの個展に向けて併設するカフェでちょうど打ち合わせをしていたのを思い出す。OGU MAG +という場所自体が、若手の表現者の実験場として、誰にでも開かれた受け皿のようなギャラリーだという印象を受けた。

展示会場に着くと、そんな OGU MAG +のオーナーがあたたかく迎え入れてくれる。会場内を見渡すと、壁際に 2 つ、空間内に自立する形で 1 つ、計 3 つの顔ハメパネルが並ぶ。会場奥の一段上がったステージのような場所には縦に壁がけされたモニターと、その隣の椅子にパフォーマーが座っている。モニターに映るのが展示タイトルでもある「Anna」という人物なのだろう。

私はまず奥の空間、パフォーマーによる語りと Anna が映ったモニターからなる作品を見る。5 つほどの質問に Anna が答える無音の映像と、隣に座るパフォーマーによる Anna のアテレコを聞くことで、Anna がどのような人物なのかを知ることができる。兄弟のこと、自身の名前のことなど、Anna は笑顔で語る。最後の質問に答えた Anna は「こんなんでいいの?もっと社会的な問題とか、そういうようなこと聞かれるのかと思った。」とつぶやく。Anna という個人の言葉が他者から発せられることで、言葉の意味は複層的になっていくと同時に、Anna の輪郭が個人と社会の関係性の中でぼんやりと浮かび上がってくる。

5 分程度のパフォーマンス・インスタレーションを鑑賞した後、一段降りた顔はめパネルが並ぶ空間に移動する。
顔はめパネルに鑑賞者が顔をはめると、「Anna」の声を聞くことができる作品だ。パネルの裏側には、語りの内容を表す「〇〇の話」と書いてある。その音声は注意深く耳をすまさないと聞くことができない。また、その内容も会話の中の一部分のようで、Anna がどのような人物で、どのような人生を送ってきたのか、それはほんの少ししか分からない。顔はめパネルはギャラリーの入り口、人通りのある道路に面している。通行人からの視線が気にな りつつ、その視線は Anna がこれまで経験した眼差しであることを作家は意図する。しかし、私たち鑑賞者はいつでもその場から立ち去ることができる。Anna 自身と鑑賞者のアンバランスな立ち位置が、属性から逃れることは簡単にはできないことも感じさせる。Anna になる/ならないという一連の鑑賞者が行うパフォーマティブな行為は、場に応じて変化する他者との関係性・立ち位置を強く認識させる。Anna を通じて鑑賞者は自己内省を自然に行うことができるとも言えるだろう。

宮森は、展示にあたり、本展での取材対象「Anna」と 1 年間にわたり関係性を築いたという。展示自体は 15 分ほどで一通り作品を見終わることができる。その短さが 1 人の人間の すべてを知ることなど到底出来ないのだということを感じさせる。加えて、作品の中では Anna がトランス女性であることが語られる。
Anna の語りからは、その語りの受け手である宮森との関係性も想像することができる。Anna が経験してきたであろう痛みや喜びが、他愛もないおしゃべりのようにも聞こえる語りの中で、宮森によって引き出されていく。作家である宮森が不在であることによって、より 2 人の関係性が浮かび上がる。あくまで展示で見えるのは関係性の途中経過でしかない。展示以前も展示以後も鑑賞者の知らぬところで 2 人の関係性は築かれ、また続いていくのだ。展示という空間だけでなくその前後の時間で紡がれる 2 人の対話(おしゃべり)は、異なる背景を持つもの同士が連帯するためのある種の方法を示すのではないだろうか。
フェミニズム理論家で、作家、文化批評家のベル・フックスは、コンシャスネス・レイジング*1 の中心をなす方法が、会話と対話にあったことに注目するべきだとし、女性たちがとことん話し合い、互いの相違点をはっきりとさせることを通してのみ、女性にたいする差別的な搾取や抑圧がどういうものなのか理解することができると述べた(フックス 2020:25)。

属性を入り口とせず他者と関わることとは、常に自己の偏見と向き合うことから始まる。そして、それはフェミニズム的な営みだと私は考える。宮森と Anna の関係性がこれからも続いていくことを一鑑賞者として願わずにはいられない。

参考文献
1 コンシャスネス・レイジング(Consciousness-raising)とは、フェミニズムのための意識高揚、意識覚醒のことで、1960 年代後半、女性たちは小規模なグループで会合を開き、そこで個人的な体験を共有しながら、そうした体験が家父⻑制社会における構造的な問題であることを理解した。それはまた、性差別の問題が個々人の意識の問題であることを理解し、自分自身の差別意識に気づく場であった(堀田 2020:31)。
ベル・フックス著、堀田碧訳『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(2020 年)エトセトラブックス


櫻井莉菜
1998年生まれ。2021年奈良県立大学地域創造学部地域創造学科卒業。2023年秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科修士課程修了。母曰く名前の候補は「りな」と「あんな」だった。


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