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「シンクロと自由」を読みました

この本は、「よりそう介護」の第一人者、村瀬さんの本です。様々な介護エピソードが、時に真面目に、時に面白く綴られています。

一般的に介護について語られる際には、その大変さや賃金の問題がよく取り上げられますが、この本では介護、老いに対する新しい考え方を読者に提供してくれます。

ジレンマに共感

介護者とお年寄り、親と子供。お互いなかなか思い通りにならないジレンマに関しては、育児と少し似ているところがあるのかなと思いました。

介護者や親からすると、寝た方がいいはずの時間に寝てくれない、ご飯を食べて欲しいのに食べない、トイレで用を足してくれない、予定があるのにその場から動いてくれない。

しかし、介護や育児を受ける立場からすると、眠くないのに寝かされる、自分の気分や食欲に合わない食事を押し付けられる、慣れていない場所で排泄を促されるなど、家族や介護者の都合で行動を制御されているとも言えます。

人を相手にしているので、お互いになかなか思い通りにならないのです。この類の理不尽さは私も育児で初めて経験したのですが、介護で、となると要求も子供と違って高度だし、身体も大きいので、もっと大変だと思いました。

介護におけるシンクロ

介護でいうシンクロとは、「二人で"今ここ"をとらえること」だと考える。

おじいさんの荒ぶる感情は認知症ではない。「家に帰りたい」という気持ちに症状などない。ぼくたちに突きつけられているのは、お爺さんの「家に帰りたい」にどう応えるのかである。

言葉で伝えても伝わらない。伝わらないので、一見こちらが無駄だと思ってしまうことも付き合う。何度も何度も繰り返し繰り返し同じことを伝える。自分でやった方が早いことも、時間がかかっても見守る…。

村瀬さんは、根気強くこれらを実践して、お年寄りの方々とどう接するか試行錯誤を重ねます。介護は、忍耐も思考力もいる仕事なんですね…。

老いるとは新しい「わたし」になること

不自由になる体は私に新たな自由をもたらすのである。時間の見当がつかないことで時間から解放される。空間の見当がつかなければ場に応じた振る舞いに囚われることもない。たとえ寝たきりになってもその場に縛られてはいない。子どもの顔を忘れることで親の役割を免じられる。 憶えていないことで毎日が新鮮になる。怒りや憎しみが留まりづらくなり喜びが訪れやすくなる。

それらは私の自己像が崩壊することであり、私が私に課していた規範からの解放でもある。私であると思い込んでいたことが解体されることで生まれる自由なのだ。

では私は私を失うのだろうか。そうではないと思う。私が変容して新たな『わたし』へと移行するだけである。介護とはその過程に付き合うことではないだろうか

「老い」はよくマイナスなイメージで語られがちですが、こんな風に捉えるのも面白いかもしれませんね。

介護という仕事は、ただ睡眠と食事と排泄のお世話をするだけではない、変容していく「わたし」にお付き合いしていくとても奥深い職業なのだということを村瀬さんは教えてくれました。

私も介護に関わっていいのかな?

ひっ迫する医療や介護の現場に向けて「感謝の拍手」が全国で行われたが、違和感を覚えた。巻き込まれることを恐れているかのようにも見えた。

誰に向けて行われたのだろうか。まるで「あなたつくる人、私食べる人」と線引きされたかのようだった。そもそも線引きなどできるのか。生活そのものを通して、すべての人間がキュアとケアに携わっているはずである。

そして、この「感謝の拍手」。私も何もできないくせに「他人事でいいのかな」という違和感を感じていました。というのも、私自身も世間で「子持ち様」なんて言葉が出てきたりして、この類の"理不尽さ"を知っている味方がどんどん少なくなっている怖さを身をもって感じていたからです。世の中には、自分の常識の範囲内ではどうしようもできないことがあるのです。それなのに、何も知らない外野から「もっとこうしてみたら?」と言われると疲れてしまいます。

私は介護をしたことがないので、もちろん介護の理不尽さも本でしか知ることができませんが、世間から線引きされたような感覚は少しだけ理解できました。

でも、私は専門の資格もないし、介護は身近な存在にありません。地域の交流も少ないです。そんな中で、どんな風に関わっていったらいいんだろうというのは、今後の私の課題になりそうです。

村瀬さんの文章は、「ぜひ関わってみてください。」と優しく誘ってくださっているような気持ちにしてくれました。今の私にできることと言えば、プロダクトに表示されている数値や文字のその先にある人のことを忘れずに開発することくらい。もっともっと介護の業界のことが知りたいです。

でも、わかったような気にはならないぞ

本書にもありましたが、本を読むと、なんだかその現場のことをわかったような「上から目線」な気持ちになります。特に村瀬さんの文章は引き込まれるものがあるので、そのときの情景が介護をしたことがない私でも思い浮かびます。

例えば、私は昔非効率なSES企業にいたんですが、その経験があったから「自社開発ってこんなに素晴らしいんだ」と思うことができました。でも、私のように介護をしたことがない人間がこの本を読んでも、真の意味で「新しい価値観だ…!」という体験はできないように思います。そこを体験できないのが、悲しい。

以上です。


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