生まれ変わりがあるほうが幸せなのか、ないほうが幸せなのか
これ以上虫歯になってたまるか! と、食生活の改善に精を出しているのですが、一つの壁にぶち当たりました。
人はいずれ死ぬし、死んだら何もかも無に帰すというのに、自分はいったい何を……
……厨二病でしょうか?
生まれ変わりが”ある”と考えたほうが幸せなのか、”ない”と考えたほうが幸せなのか……仮に生まれ変わりがあるなら、来世の自分は今世の記憶を持っているほうがいいのだろうか? ていうか人間に生まれ変わる保障とか無いし……
人間になってもならなくても、前世の記憶があるとキツくない? 前世はこうだったのに、何で今世はこうなんだ? とか、余計なストレスにならない?
個人的に、分子サイズでの生まれ変わりはあると思います。我々って分子で構成されているので、わたしの骨のカルシウムの一部は、かつてクレオパトラの骨のカルシウムだったかもしれない!
そうでないとしても、食べてきた生き物たちの分子で身体が構成されているので、ある意味食べ物の生まれ変わりともいえます。
そして、我々は代謝しています。我々の体を構成する分子たちはどんどん入れ替わっているので、1分1秒とて同じ状態の自分は存在しない(テセウスの船)。
……つまり、常に生まれ変わり続けているのかもしれないですね。
そこんとこどうなの?宗教(ざっといきます)
・神道
死んだら神様のところに帰って、子孫の守り神になる
生まれ変わったりはしない
・オリジン仏教
ブッダ「あの世があるか無いかを考えるのは時間の無駄」
・のちの仏教
死んだら転生を繰り返す=生きるという”苦”から抜け出せない
現世の行いで転生先が変わる(転生先は六道+浄土の7つのうちどれかになる)
浄土に転生できるまで生まれ変わり続ける
・ゾロアスター教、ユダヤ教&キリスト教&イスラム教(アブラハムの宗教)
死んだら世界の終焉まで待機する
世界が終焉した後に”審判”を受けて、天国行きか地獄行きかが決まる
生まれ変わったりはしない
・儒教
死んでも、子孫の命の中に生き続ける説
死んだらそれまで説
いずれの説も生まれ変わったりはしない
生物学的に考えると、儒教の「子孫の命の中に生き続ける説」があり得そうな気がします。生き続けるというか、子供なら自分の遺伝子1/2で構成されていて、孫なら自分の遺伝子1/4で構成されていて……
推しYouTubeチャンネルの見解
・生物学的プロセスが終了する
・自分という連続的なパターンが連続的であることをやめる
・存在しなくなるまで薄れていく
・死後の世界があるかどうかは分からない
自分への落としどころ
自分が生まれ変わった時、そもそも人間になれるのだろうか? 動物園や水族館で飼育されている動物なら、自然界よりも脅威は少なさそう。蚊だったら……きっと平手打ちで秒殺。ウイルスだったらどうなる? 秒で世代交代が終わって死んでしまいそう……
やっぱり、生まれ変わるなら人間がいいのかしらん? でも、人間になれたとして、治安の良い国に生まれる確率って……低いのでは?
であれば、死後の世界を考えるのは時間の無駄だとする、ブッダの考えがしっくりくるかもしれない。
我々は致死率100%だし。
死後の世界の事は、死んだときに分かることだし。
生きているうちから備えれることって、多分無いし。
……でもでもやっぱ、死にたくな~い! 生に執着しちゃう~!
老後のいつか、悟れる日が来るのでしょうか?