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フリーカンパ制の演劇 いくら入れるのが正解なんだ問題

(初出:旧ブログ2018/10/11)

 苦手なもののひとつ。フリーカンパ制の演劇。学生の頃は演劇部だったし、劇場が沢山ある街に住んでいるので、たまに観劇に行くのだが、学生演劇だとよくこのシステムにぶち当たる。単純に「いくら入れたらいいのかわからない」のだ。

 まず相場がわからない。フリーカンパ制は各席に茶封筒が配置されていて、帰りしなにアンケートと一緒に渡すのが一般的だが、ご祝儀と同じでほかの人の額がわからないのである。それにいくら無記名とはいえそんなに何人もいる場所じゃない。そうなると誰がいくら入れたかなんて多分察しがつくと思う。おそらくだが。もしかしたら僕が知らないだけで本当は「2で割れる額にしてはいけない」とかルールがあったりして。…んなことないか。

 それにお笑いや音楽関係に比べると舞台はちと高めだ。これは「商習慣」といか、演劇は舞台装置等をその都度作らなきゃならないからなんだろうけど、演劇ってまあまあ高いんである。とはいえ『熱海殺人事件』みたいなほぼほぼ構成舞台な演劇もあるわけで、舞台装置で額を決めるのはどうなんだ、ということである。第一、舞台装置の値段だってわからない。棒切れ1本にしたって、そこら辺の公園で拾ったものなのか、木曽あたりでしか手に入らない貴重なヒノキかも知れない。これは極端な例にせよ、中には段ボールを本当にうま~く加工して舞台装置を作る劇団もある。だから『熱海殺人事件』だから1000円、『蒲田行進曲』は階段があるから2000円みたいな決め方は出来ない。

 となると、内容で決めることになるのだが、この理屈だとゼロ円、下手したら金返せってレベルの時がある。これは個人的な偏見だけど、映画等他ジャンルに比べて当たり外れが大きいのが演劇だと思う。だからといってカラの茶封筒を渡して帰れるほど神経は図太くない。それに「面白い」「面白くない」で白黒はっきりつけられるならまだよくて、「自分の好みではないがこういうジャンルが好きな人にはたまらないだろうな」みたいな複雑な感想になることもまあまああり得る。正直「俺の好みじゃねーからゼロだ!」と言いたい時もある。でもそんな根性持ってたらこんなセコい文章書かないよ。

 というワケで最終的に役者で決めることになるのだが、それもいい加減で「友達がでてるから」「知ってる人がでてるから」というレベルで決めてしまう。それってどうなのかな~って思う。なんか役者に対して失礼な気がするし。完全に演劇とは関係ない要素で演劇に払うお金を決めてしまっていいのか?と疑問が湧く。
 
 とにかくもうフリーカンパ制なんていう、うやむやで「面白くなかったり、お金がない人はタダでも良いです」という優柔不断なシステム、やめるべきだ。「私たちはこれだけの自信をもって演劇やってます!だから○○円で!」というほうが「潔い」感じがするし、観る側も「よし、このあらすじで、この感じなら○○円払ってもいいかな」という方が絶対見やすいはずだ。仮につまらなかったにしてもあきらめがつくんじゃないんだろうか。とにかく、いろんな意見があると思うし、例えば「そっちのほうが儲かる」、「そのほうが動員がいい」、「仮に全員タダでも赤字にならない」とか明確な理由があるなら、僕の知らない劇団側の事情があるなら良いと思うけど、なんとなくで採用してるならやめるべきじゃないでしょうか。

#演劇 #フリーカンパ

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