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自分にがっかりして、それでも自分を好きでいたい夜に想ふ

今日、高IQのメンサ集団について友人と議論した結果

正直、このモヤっと感をここで、どう伝えればよいのか分からない。

彼は、何でも相談できる相手だ。何でも相談できるというか、何でも相談しても良いよと言ってくれる相手だ。でも、今日、メンサについて話していて、少し険悪な雰囲気になった。彼の主張は、特定の数値以上の人間が集まり、IQで一定のグループを作成し、そのグループに所属すること、そのこと自体が「変」なことだという。メンサ会員の入団理由が知りたいと話す。メンサに所属することで、彼らは彼らを説明するコミュニティを獲得するのかもしれない。だがしかし、彼の主張は、メンサへの所属が、自分たちのIQの高さを敢えて見せつけているように見えるらしい。。うーん。それは、彼のメンサへのクリティサイズだが、私は彼がイラついたところを見たことが無かったので、少し困惑した。何て表現したらいいか分からない。

その会話の中で、私は自分にがっかりした。
そのがっかりの中身は、私の自動的な思考のせい。
それは、メンサ→高IQ集団→凄い才能!
偏差値システムや学校ランキングによって創られた私の人をカテゴライズする思考が甚だ嫌だ。

文化の違い?いつもの、カルチャーショック?表現の自由の程度の違いとかそういう問題じゃなくて・・・これまで培ってきた批判的思考力の違いに歴然として自分にがっかりがっかりした?慣れない環境にストレスを感じている?でも、マイルド、甘ったるい環境だと成長できない・・・

こんなネガティブモードに思い出すのは、最近見たスペインドラマ, "Valeria"のなかで、女性が幸せを感じるときは、男性といるときでもなく、一人で過ごす夜に自分を好きでいられることだと。文脈は違うけど、このセリフが好き;

「どれだけ香水をつけても、女性は成功を確信できない。成功したと勘違いしたりする。でも構わない。男に好かれなくてもダメではない。大事なのは自分を好きでいられること。一人家でくつろいでいるその時こそ、手首に香水をつけて自分に満足できる。」

Valeria, season1, episode3

一人でいる夜に、マニュキュアをつけてみる。口紅を塗ってみる。香水をつけてみる。そんなときに死にたいとか虚しさを感じるのではなく、幸せを感じられるかどうか。失敗したなと思っても自分をそれでも好きでいられるか。

問題に戻ってみよう。

ー様々なコンフリクトが心を渦巻いているー

それはこんな感じ、客観的に見てみようか。:
💭物事の両側面を見るちから養いたいから、イギリス大学院にいるんでしょ?
💭でも、いままでしてこなかったのだもの、それはすぐには出来ないよね?
💭でも、話す練習しないと、向上しないよ?
💭でも、すぐに慣れろだなんて、ストレス耐性の構成が追い付いてないよ?

<<成長したい意欲と ⇔ それはすぐには取得できないもどかしさ。>>

目の前の友人はもちろん、私に対して怒っているわけではないけれど、怒りの感情を見るのはやっぱり苦手だ。

問題は当事者間で話し合うのが一番だ。もやっとしたこと、英語力が足りなくて理解できなくてごめん、とか、後で謝った。その前に、まだ話せるほど冷静じゃない、もやっとしているときには、時に、問題に直接関係ない人にも話してしまう。そんな自分も嫌だ! 問題解決のための一番の方法を知っているのに、それには一見必要なさそうな、関係ない他者とのコミュニケーションを自ら取っている。でも、その人はその人で、客観的にものごとを見、私のしたことを肯定し、責める必要ないと言ってくれる。なので、まあ、よしということにしておこう。

まとまらないが、まとめるために書いているわけではないが、自分にがっかりして、それでもなお、自分のことは自分でしか好きになれないと信じているので、なんとかその道を模索している、というわけだ。

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