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転がる言葉

雨の日の子供の習い事は、車での送り迎えが必要で… 憂鬱。
車の運転はそんなに得意じゃないし、車庫入れもちょっと面倒な場所なので、それが憂鬱の原因。

車庫入れしないように… なるべく動きたくないし…。だからいつもの雨の日の待ち時間は、車の中でスマホとにらめっこ。

その1時間位ある時間… スマホに費やすのはもったいないと毎度思っていて、何か打開策を… と思って出かける前に考えてたら、編み物が出来るじゃないか?と思って今日はかぎ針を持って出かけた。

編み目は見ているようで、見ていないので…(とは言え見ているけど(笑))それなりに楽しむことができた。やりたいことも進められて、それもこなした感満載!

編んでいて働いていた時のことを思い出す。先生達、みんなこうやって時間を捻出していたんだよねと思った。

そして、こんなことも思った。
あの時なんで私は恵まれた環境にいたのにそれをやらなかったのだろうと…。

それはただ単にやる時間がなかったから?
いや、こうやってすきま時間だけれども、糸と針を触れる時間があって、そしてまた明日もやれる時間があると思うだけの余裕。それが今あるという事に気がつく。それだけでずいぶんと… いやかなり… やろうと思う気持ちが違うんだ。そして、何よりも根気よくやっていれば仕上がるという事がわかるというところまで出来る!という事がわかったからまたやる気が起こるんだと思った。

時間は無いようである。
だけど、
時間はあるようで無い。

どっちにも転がせる言葉だ。

どんどんやっていくということが未来に広がっている今は、
時間はあるようで無い
だから、今を楽しんでやろう!
と自分に鼓舞したいけれど。

でも、あの働いていた当時の私に言ってあげたいのは、
時間は無いようである
と言ってあげたい。
いつかできる日が来るよ。
その時までワクワクしながら待っていてね。

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